⚖ 6年+本人訴訟 【29】~「裁判を受ける権利(憲法32条)」を侵害された
一連の事象の発端であった,重大な事象であるとして,裁判で,私が繰り返し陳述した「3つの約束」等,当初の学校対応について,飯塚圭一裁判官のみならず,飯塚素直裁判官も,明らかに敢えて審理しなかった。
審理したならば,校長や副校長らの違法が明確化するため,故意に無視したと考えないわけにはゆかない。
【訴訟1】の当初担当だった森剛裁判官が,異動前に述べた「被告は破綻している」は,「3つの約束」その他の事項で,私が多数の証拠に基づき陳述した内容を「中立公正」な見地から,適切に評価したコメントだ,と確信を持って言える。
飯塚圭一裁判官と飯塚素直裁判官が,揃ってそれらを無視したのは,そうしなかったならば,学校側の違法が,「火を見るよりも明らか」となり,同事実との因果関係が明らかな「退校」を含め,私の請求を認めることになるからであった,と思う。
全ては,森剛裁判官が異動する直前,同裁判所の総括判事に就いた飯塚圭一裁判官の指揮結果であろう。同裁判官は,何らかの思惑,あるいは,裁判所組織のさらに上層部からの指示なのかもしれないが,同事件の訴訟では,以下とすることを確定させていたのであろう。
■「被告の違法はない」とし,「棄却する」。
■ 上記の結果を導くため,不都合な事実は無視し,判断も遺脱する。
それにしても―――
【訴訟2】で,飯塚圭一裁判官は,副校長と私への本人尋問を行い,結果,副校長が,「約束反故し,同事実について虚偽回答していた」自白を,自身の耳で確認し,私は,最終準備書面で同事実を踏まえて重ねて指摘したにもかかわらず,同裁判官は,同事実をも無視し,「原告の要望に沿って慎重に調査を進め」と事実認定したのである。(【17】参照)
恐らくではあるが,飯塚圭一裁判官は,本人尋問で,介護職を志すド素人のおばさん(=私)がしどろもどろになり,上記が確認される事態にまで至らないだろう,と高を括っていたのではないか。
「棄却ありき」で,本来ならば2期日程度でサクッと終わらせたかったところ,「尋問もした」という,「審理した」という体裁のため,形式的にやることにしたのでは。
(しかし,私は,インタビューを得意とする記者だったこともあり,ビンビンの緊張下でも,矛盾を捉え,Qを重ねるコトには,ある程度慣れていた。)
副校長の,矛盾したしどろもどろ答弁が続いていたため,思わずプロとしての本領が発揮され,尋ねた結果,図らずも,約束反故を虚偽回答していた事実を自白させてしまった,というのが本音ではないか。
「裁判所でもまともな対応をしてくれない」という現実を突き付ければ,失望し,「もう疲れた」と,控訴を諦めるのではないか。仮に,控訴したところで,問題ない。高裁の裁判官は,弁護士もついていない案件なんか,誰もまともに書面(弁論結果)も証拠も見ないことになっているのだから,(自分が下した第一審)原判決の合理性を精査することもない。
飯塚圭一裁判官が,さいたま地方裁判所川越支部(民事)の総括判事として,上記のように考え,【訴訟1】の飯塚素直裁判官に指示し,かつ後述する東京都を相手にした【訴訟3】でも,指揮権を行使したか?
以上は,結果と経験に基づく私の想像であり,真相は不明である。
しかし,【訴訟2】の控訴審での実態に加え,後述する【訴訟1】の控訴審での実態からも,「高裁の裁判官は,弁護士もついていない案件なんか,誰もまともに書面(弁論結果)も証拠も見ない」が不文律としてある,とかなりの確かさを感じている。
さもなければ,何らかの理由から,私の事案をピンポイントで,そう扱う方針を組織内で共有したのか?
何はともあれ,私の「裁判を受ける権利(憲法32条)」が,不当に侵害された事実だけは,たしかである◆