節分の思い出
街に貼られた恵方巻きのポスターを見て、ああ、明日は節分なんだと気づいた。
ふと、小さい頃の節分を思い出した。
私の母は年中行事をちゃんと実施するタイプだった。
桃の節句には雛飾りを出してちらし寿司を作ってくれた。
端午の節句には菖蒲湯を用意してくれた(うちは男の子がいないので五月人形と鯉のぼりはない)。
七夕にはみんなで小さな笹を飾った。
冬至の日にはかぼちゃ料理が食卓に並び、お風呂に柚子が浮いていた年もあった。
クリスマスにはツリーを出してケーキとチキンをみんなで囲んだ。
(余談だがお彼岸は祖母の出番で、毎回うちにおはぎかぼたもち(実質同じ)を持ってきてくれた。)
そんな年中行事の一つに、節分もあった。
ある年、恵方巻きを自分たちで作った。
家に帰ったら、マグロのお刺身や卵焼きやきゅうりやいろんな具材と酢飯、海苔、それに巻き簾が用意されていた。
さながら手巻き寿司。
一つ違うのは巻き簾を使ってちゃんと巻き寿司にするところだ。
巻き簾なんて普段見ないもんだから、私も妹も嬉しくて、わいわい騒ぎながら巻き寿司の準備を手伝った。
母と妹と3人で(父は仕事で遅かったのかいなかった)、めいめい自分の好きな具材を選んでオリジナルの恵方巻きを作った。父の分も作った。
欲張って具材がパンパンの巻き寿司。
明らかに酢飯を盛り過ぎの巻き寿司。
母が作ったから綺麗な巻き寿司。
不格好だけど最高の恵方巻きができた。
みんなでいただきますをして、恵方巻きを食べる。
「恵方どっち〜?」
「こっちであってるはず!」
そんな会話の後、静寂が訪れる。
おいしい!って口に出して言えないのがもどかしかった。
みんなで同じ方向を向いて無言でもぐもぐしているのがなんだかおもしろかった。
残りの巻き寿司は父の分を残して、母が全部輪切りにして大皿に盛ってくれた。
おいしくておいしくてぱくぱく食べた。
「そんなに食べて大丈夫?」って母が心配するくらいぱくぱく食べた。
大丈夫。だってとっても美味しいから。
父が帰ってきた。
ご飯もそうそうに、豆まきの時間だ。
うちで撒く豆は落花生だった。
「散らからなくていいし、そのまま食べられて便利」といつか母が言っていた。
鬼のお面をつけた父に向かって、妹と2人で
「鬼は〜外!福は〜内!」
と元気に豆を撒く。というかぶつける。
程よいところで鬼さん(父)は降参して廊下へ去っていく。
その後はみんな総動員で撒いた豆を拾ってかごに集める。そんな方向に投げていないのになぜかテレビ台の下から豆が出てきたり、終わったと思ってこたつに入ったらこたつ布団からぽろりと豆が出てきたりした。節分の後2、3日はどこかしらから豆が発見されていた。
豆を食べるとき、最初は年の数を気にしているのだが、何せ小さいのでせいぜい十数粒でノルマクリアしてしまう。
結局、「多い分にはいいよね」なんて言い訳をしながら、さっき巻き寿司を大量に食べたとは思えない勢いで落花生を食べた。
あの頃は、毎年毎年ずーっとこんな節分が続くと思っていたんだろう、きっと。
節分だけじゃなくて、どんな行事も毎年毎年家族みんなでやるんだと無条件に信じていた。
自分が大きくなって、家を出て一人暮らしをするなんて、考えてもみなかった。
私は18歳で家を出た。
今となっては両親、私、妹、それぞれ別の土地で生活している。
家族4人で過ごした節分は実はそう多くなかったんだと今になって気づく。
やがては家を出てからの年数の方が長くなってしまうと思うと少しさみしい。
でも、4人で過ごした楽しい思い出はずっと心の中にあって、何かのきっかけで思いだすのだろう。
さて、夫と2人の今年の節分はどうしよう。
節分なんてすっかり頭から抜けていたから、恵方巻きの予約はしていない。
何なら仕事の都合で夕飯は別々にとるつもりでいた。
コンビニでロールケーキとピーナッツを買って2人でつまもうか。それでも気分だけは味わえるかな。
来年は、母がしてくれたような自家製恵方巻きにチャレンジしたい。
と、鬼に笑われそうな決意を固めた。
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