元不登校児、両親のことを振り返る

中学1年生のとき、不登校になった。
そのときの両親のスタンスは、私にとってとてもありがたかった。
10年以上経った今、改めて振り返ってみようと思う。

母…学校との窓口、私のメンタルサポート

正直、母のポジションが一番大変だったと思う。

毎朝の学校への連絡ほか、学校とのやりとりは全て母がしていた。
学校との関わりを絶やさないために、PTA合唱団にも参加して、先生や保護者と交流していた。
少し登校できそうなときは、仕事の合間を縫って学校まで送迎してくれた。

私の気持ちが不安定で爆発したとき、それに向き合うのも母だった。泣き喚いたり、怒ったりする私を、ときに優しく、ときに厳しく支えてくれた。

母は、無理に学校に行かせようとはしなかった。私のしたいようにさせてくれた。私が自分で立ち上がるのを辛抱強く待っていてくれた。

今思うと母にいかほどの心労をかけたかわからない。母も学校でスクールカウンセラーのカウンセリングを受けていたから、思うことは沢山あったとのだろう。
申し訳ないな、と思う反面、全身全霊で向き合ってくれたことは心から感謝している。

父…日常を守る

昔から父は揺るがない、動じない人である。
でもとても細やかで、家族の様子をよく見ている。

それは不登校のときも同じで、私は父から不登校について何か言われた記憶はない。不登校の前と変わらず、いつも通り私に接してくれていた。
決して私や不登校に無関心だったわけではない。
でも、私が家で居心地良く過ごせるように、あえて学校の話題は出さなかったのだろう。

そんな父、あくまで私の想像だが、裏ではきっと母や妹をサポートしてくれていたのだと思う。
母の一番の相談相手は父だった。
母が私にかかりっきりな分、父が妹のことを気にかけていただろう。

父は、我が家の日常と笑顔を守るために、見えないところですごく頑張ってくれていたのだと、今になって気づく。当時は目に見えるものしか気づかなかったけれど、大人になった今、父の働きのすごさを思い知る。

父が大黒柱としてどっしり立っていてくれたから、私たち家族は倒れなかったのだ。

番外編 妹

私が不登校だったとき、小学生だった妹がどう思っていたかは今まではっきり聞いたことはない。ただ、何かの拍子に「あの時は大変だったんだよ〜」と言われたことがある。
多少のことではへこたれない妹がそう言うなら相当大変だったのだろう。
彼女にも相当な苦労をかけた。それなのに、今でも良好な関係でいられるのが本当に嬉しい。

まとめ

両親が上手く役割分担をしていたことで、私自身、家では自分らしくいられたのだと思う。
2人から学校について話をされたら嫌になっていただろうし、逆に2人とも学校の話をしなければそれはそれで不安だっただろう。

そして、2人とも私を最大限尊重してくれていたのもありがたかった。
家は私の居場所だという安心感があった。

不登校を真正面から受け止めて一緒に戦ってくれた母にも、家族が楽しくいられるようにあえていつも通りでいてくれた父にも、そして色々我慢してくれた妹にも、心から感謝している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?