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父とわかさぎ釣りをした日

前職を辞めてから結婚するまで、実家の厄介になっていた。

ある日、私は言った。
「お父さん、私もわかさぎ釣りについて行っていい?」

父は多趣味である。
釣り、日曜大工、手芸、パン作り、蕎麦打ち、庭仕事…。
多分これでも全ては列挙できていないだろう(しかも知らないうちに新しい趣味ができていたりする)。

中でも釣りは長年愛好している趣味の一つだ。
夏は海で鯛やイカを釣ってくる。
冬は夏みたいに海に行けないから、湖でわかさぎ釣りをする。
わかさぎ釣りといっても、凍結した湖の氷に穴を開けて釣り糸を垂らすタイプじゃなく、不凍湖で屋根付きの船に乗り、床に空いた穴から釣り糸を垂らすのだという。
「船あったかいし、畳敷きだし最高だよ?」
と父は常々言っていた。

釣りなんか微塵も興味がなかったのに、なぜあのとき行くと言ったのだろう。
父があまりにも楽しそうに話すから興味がわいたのも、ある。
日々家でだらだらする生活に飽きて刺激が欲しかったのも、ある。

でも一番は、父は本当は子どもと一緒に釣りがしたいのかも、となんとなく感じたからだ。
うちは娘2人。どちらもアウトドアに興味がない。
今の時代にはそぐわない考えかもしれないけれど、父にもし息子がいたら一緒に釣りに行ったのかなぁ、と思う。男だけの秘密とか作っちゃったりして。

私は女の子だから男同士の秘密は作れないけど。
女ばかりの家族の中でもしかしたらちょっとだけさみしい思いをしているかもしれない父への、結婚前の恩返しのつもりでわかさぎ釣りについて行った。

恩返し、とは大義名分で、何にもわからないど素人な私は、準備を全て父に任せてのこのこついていった。

この数ヶ月で一番の早起きをして、父の運転で湖へ向かう(道中私はしっかり寝た)。
湖の横のロッジで釣りの代金を払い、餌を買う。
赤と白のちっちゃいミミズみたいなのが餌だ。色の違いに意味があるのかもわからない。
とにかく父について行く。

船はイメージしていたよりも広かった。
真ん中が畳敷きで、左右に空いた長方形の穴から湖の水面がちゃぷちゃぷ見える。
船の中にはすでに何人か釣り人がいて、めいめい場所を確保して準備に勤しんでいた。
私たちも2人分の座椅子を確保して準備を始める。

といっても私は何もわからないので父の作業をじっと見つめ、何か頼まれたらその通りに動くだけだった。
しばらくしてブロロローと船のエンジンがかかり、出航。
8時から15時まで。
今から7時間、私たちは湖の上だ。

釣り糸はただ垂らしているだけじゃダメだそうで、さも生きているかのように糸を動かすのがポイントらしい。
私も見よう見まねで釣り糸をくいっとひっぱったり、だらんとたらしたりを繰り返していた。

かからん。
なーんの手応えもない。

早起きと暖かさとかからなさと船の揺れが影響して、私はまた夢の世界へ旅立ってしまった。
起きたら私の釣り糸が別の竿の糸と絡まっていて、父が頑張ってほどいていた。
ここまできて何してるんだ私。

しかし、たっぷり寝たことで私は元気になった。ぴくぴくっと竿を動かしつつ父がしこたま持ってきたお菓子をつまむ余裕も出てきた。

たまーに手応え(らしきもの)がきて引き上げると、何回かに一回はわかさぎがくっついていた。
嬉しい。
あ、こういうところから人は釣りにハマるんだな、と思った。

ちょこっとしか釣れない私の横で、父は慣れた手つきでほいほい釣り上げていた。

あまり釣れない私を見かねて、
「釣り糸を変えてみよう」
と父が言った。多趣味でありコレクターでもある父。素人目にはどう違うのかわからない釣り竿や釣り糸や釣り針をたんと持っている。

いそいそと私の釣り糸を交換する父。
そのとき、私の指に釣り針が引っかかった。
父は咄嗟に、私の指に突き刺す方向に釣り針を動かした。
私の中指を、釣り針が貫通した。
「うわあ!」
「ごめん!自分で取って!」
なんでやねん。
関西に縁もゆかりもないが内心思わずそう呟いた。
父の釣り針に引っ掛かってしまった娘は、ふっ、と気合を入れて針を抜き、自分で絆創膏を貼って手当てした。
傷が深くなかったのは不幸中の幸いである。

お昼は家から持ってきたカップラーメンを食べた。
この船、ポットが完備されているのだ。
こういうところで食べるカップラーメンって最高に美味しい。
この日くらい美味しかったシーフードヌードルを私はまだ知らない。

午後も私はたまーに釣れた。父の釣り上げるペースはむしろ上がっていた。隣にいるのに技の違いでこんな差になるなんて。

釣りをしながら、私は父が持ってきたお菓子の中にある果汁グミ温州みかん味が気になっていた。
大好物の果汁グミ。一人で全部食べたい。
でもお父さんが食べたいから買ってきたんだろうな。取っちゃ悪いな。でも食べたいな。

思い切って訊いてみた。
「果汁グミ、もらっていい?」
「いいよ、あおいが好きだと思って買っておいたんだ」
なんと!
我が父親ながら不覚にもキュンとしてしまった。
一応婚約中の身なのに不覚にもキュンとしてしまった。
果汁グミ好きだなんて言ったことなかったけど、ちょこちょこ買って食べてたの知ってたんだな。
うちのお父さん、最高かよ。

このことで釣り針の一件は綺麗さっぱり許してしまった。
グミは一粒だけ分けてあげた。

そんなこんなで船の上での7時間が終わった。
私の釣果は17匹。最後の2時間はさっぱりかからないというしょっぱい結果だったけれど、楽しかった。
父は私の何倍も釣って、それでもなお
「今日は調子が悪かったな」
なんて言っていた。

帰り際、
「また来たい?」
と父に訊かれた。
「うん。嫁に行く前にもう一回くらい」
と答えた。
訊いてくれたってことは、お父さんも楽しかったんだな、と嬉しくなった。

結局嫁に行く前にもう一度わかさぎ釣りに行く約束は果たせなかった。
でも、父には義理の息子ができた。
冬に帰省したら、父と私と夫とでわかさぎ釣りに行きたいな、なんて思う。
父も、夫も楽しんでくれたら嬉しい。

このわかさぎ釣りの日が、100年後に父が死ぬときの走馬灯に0.1秒でも登場してくれたらいいな、と娘は密かに願っている。

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