民主主義の発生
現代の、多数決で決める民主主義は何が起源なのでしょうか?
これは原始仏教の議決方法『多語毘尼』に起源があるのではないかと言われているそうです。
多語毘尼
平安時代の世の中で、俗世では氏族、家長権などのあらゆるしがらみがあるため、出家してしがらみから解き放たれ、個としてブッダに使える僧侶の間で行われやすいシステムでした。
(実際には、鎮護国家のための仏教の僧侶は「国家公務員」の立場で、大寺院の僧は、俗世の序列がそのまま作用されやすかったそうです。)
多語毘尼に基づいて「満寺一味同心」という形で寺院全体の意思決定をし、それに基づいて行動を起こすには「満寺集会」という衆徒全員で出席する会で「大衆僉議」という評決を行い、それを多数決によって議決しなければいけませんでした。
多語毘尼…教団内の諸問題解決に用いられ、その一つに多数決がある。
【多数決の種類】
・公開投票
・半公開投票
・秘密投票
【大衆僉議のルール】(『平家物語』にある延暦寺のルール)
・神聖な義務なので出席しないと罰せられる。
・延暦寺は3千人ほどいるため、集会は野外。大講堂の庭に集まる。
・服装は異形で全員で破れた袈裟で顔を包み隠す。
※なんぴとといえど、天皇の命令であっても顔をあらわにして出席する事は出来ない。
・全員が堂杖という杖を持ち、小石を一つ拾って出席し、その石の上に座る。
・声を出すときは、鼻を抑え、声を変えねばならない。
※家族であっても絶対に誰か分からないようにしなければならない。
「半公開投票」
声を変えた誰かが「満山の大衆は集合したか」と叫び、提案の趣旨を説明し、一カ条ごとに賛否を問い、各人に判断に従って賛成の場合は「尤も」、反対の場合は「此の条謂れなし」と叫ぶ。
このように一条ごとに賛否を問い、終われば「僉議事書」「列参事書」という文書にまとめられる。
「秘密投票」
投票者が1人1人立っていって、投票課題に対して見えない場所で短い線を引き、元の場所に戻る方式。
多数決は神意の現われ
現代では「多数が賛成したからと言ってもそれは正しいとはいえない」という議論がありますが、この時代、多数決は神意を問う方式でした。
重大なときには、その集団の全員が神に祈って神意を問い評決する。そして多数決に神意が表れると信じました。宗教的信仰なので合理的な説明はできませんが、「神意」が現れたら、それがルール化され多数決以外で神意を問うてはならない、となったようです。
俗世に影響を及ぼした議決
神仏混淆が当然の考えがあり、多語毘尼の決定が「神道の神社に祀られる神」の神意だと思ったそうで、神道の神の神意が仏典に基づく多数決に現れる、という考えがあり、仏教をしらない者がそれをみれば、神道の信徒ならだれでもこれが行えると考えたようです。
日本にはどこにも神社があり、普通の農民でもその氏子でした。
多語毘尼のように一村一味同心として多数決を行い、「年貢を一切納めません」となったらどうなるか、それはその神社の「神意」だから超法規的に正しいと言えることになります。実際にこういった事例が1100年代に起こったそうです。
班田収授の法により、租庸調に耐えられなくなった農民が僧形になって、一種の治外法権であった寺院に逃げ込み僧兵となるケースが多くありました。
この百姓は、課税を逃れるためだけに、勝手に髪を剃って法衣を着ているだけで、妻子もあり、僧の戒律など一切守らず、これらが大寺院に集り悪僧になり、そういった人々のもと、議決を行い、寺院の利権保持のために「法以上の法」として朝廷に強訴し、仏神の権威を誇示し訴えや要求するデモになりました。
寺院は天皇の私有地同様、不輸租(無税)だったので、課税に苦しむ百姓は、自分の開拓地を名目だけ寄進して不輸租にしてもらい、多少の名義料を寺院に払って所有権を保証してもらった方が有利でした。寺院もこの保証が拒否されれば名義料を失うから当然に強訴する。
そうして多額の収入を得た寺院は土地を買収する事ができる。これが荘園となりました。
朝廷は、寺院に、土地を買収し、また寄進を受けることを禁止したが、これが一向に守られなかったそうです。
やがて、武家も自らの政権を樹立し、寺院とおなじような多数決原理で法を決議し、起請文を記してその実施を誓います。するとこれも「神慮」という形で絶対化されます。時代はやがて「王法・仏法」の時代から「王法・武家法」の時代へと移っていきますが、立法の方式の原理は変わりません。
[聖・俗]が分かれている中国や韓国のような律令国家ではこのような律令を超えた「超法規的」な決議の容認などあり得ない事。しかし日本は民主主義と共鳴しうる伝統を形成したわけで、神仏混淆で神道の神社が存在したこともこのことに作用しているそうです。
【感想】
多数決の民主主義には、私もかなり疑問がありますが、この始まりは原始仏教にまで遡るんですね。多数決には神意が宿るという考え方が面白いと思いました。
現代は、ダイバーシティの時代。多数決という1000年ほど続くこのやり方に少しずつ変化が起きるのかな…?と思いながら見守っていようと思います。
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