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【Gapyear体験記#24】マーシャン祥子さん

お名前:マーシャン祥子
年齢:42歳
期間:1年くらい
滞在国:モロッコ・スペイン・オーストラリア

今の活動(職業)内容はなんですか?

オーストラリアでフードコーチをしています。
家族を持っているママ向けに、健康的な食生活に変えて自然体で子育てができるためのプログラムや、私みたいに起業をしたいママのためのコーチングをしています。それを全体的に「ありのまま共和国」というバーチャル共和国を作って、共和国ベースでビジネスを展開しています。概念でこの国でこういう風に生きていけるよ!というのを伝えたくて活動しています。

お仕事の様子

ギャップイヤーを選択した理由は何ですか? 

元々旅が大好きで、大学時代はバイトしてお金を貯めて1,2か月海外を旅する生活をしていました。卒業後ワーホリも考えていましたが、ある会社の社長さんに「ワーホリに出ると帰ってきた時社会で通用しなくなるから就職した方がいい」と言われ、一度はワーホリを断念。社会のレールからはずれないよう、料理教室を運営する会社に就職しましたが1年で退社。学生時代の友達は医者になったり一流企業に就職していたので、料理の道に進んだこともマイナーだったうえにすぐにやめてしまい、これでいいのか悩むこともありました。そのあとは料理研究家のアシスタントをやりながら旅をしていたのですが、26歳くらいの時に、実際に海外に住もうと決め、料理人の修行としてワーホリで1年フランスへ行きました。仕事を軸にいろんな国に住みたいという気持ちがその時あり、修行とキャリアを積み上げていくというのが何となく自分の中で自負があったので、ワーホリが終わる前から次の仕事を探していました。当時は料理人だとすぐに仕事が見つかって、そのあとはドミニカ共和国で働き、次にスペインで仕事を見つけました。スペインではリゾート地にあるセレブ向けの日本食レストランで働き始めたのですが、すごく厳しく古い日本社会の文化が残っている環境で、自分と合わず、良い条件だったにもかかわらず1週間くらいで辞めて飛び出したんです。自分の料理って何だろう、と壁にぶつかるようになり、仕事もなくなったからどうしようと思ったけど何を思ったかモロッコに船で渡りました。そこからの時間が今思えば自分を見つめなおすギャップイヤーだったなと思います。


ギャップイヤー中には具体的にどんな活動をしていましたか?

仕事しなきゃいけないと思いながらモロッコに来たけどそこに仕事はありませんでした。
自分が本当に何したいのか。何で海外に住みたいんだろう。と毎日葛藤し、何も形ににならない自分との壁にぶつかっていました。でもなにかしらの答えがこの国にあるかもしれない、と感じて、目標やゴールを持つことををやめて、自分と向き合おうと決めました。完全にレールから外れた実感がわきました。当時日本にいる家族との連絡手段はインターネットカフェに行ってメールをするしかなかったので、家族にそれを伝えるときは申し訳ない気持ちでしたが、「とことん好きなことを突き詰めてみる時間にしたらいいじゃない。」という母の言葉に勇気づけられ、自分に許可を出せた気がします。

モロッコでの写真

モロッコでは、市場で出会ったおばちゃんにモロッコ料理を教えてもらったり、マーケットの店番をやらせてもらってハーブやスパイスについて教えてもらったりと、前半は受け身で色々吸収していました。後半は自分も何かアウトプットしたいと思い、ヨーロッパの人からヴァンを買い、中古のシンクなどを買ってキッチンカーに変え、ビーチで寿司を売っていました。やっと形になったと思ったのですが、労働ビザは簡単に取れず、続けることができなくなり結果なくなくお店を辞めモロッコから出ざるを得なくなったってしまったのですが、モロッコで自分でお金を稼ぐ場を作る経験ができたことは本当に良かったと思います。

バンを改造して作った寿司レストラン

そのおかげで、そのあとに行ったオーストラリアでもビザをもらうために1年くらい働いたのを除くと、それから今までずっと自営業をしています。パンを作って路上で売ったりもしていました。オーストラリアで旦那と出会い家族を築いていき、あっという間に14年もオーストラリアで暮らしています。色んな国で過ごしたギャップイヤーはかけがえのない時間でした。


ギャップイヤー中の経験が、その後の生活(仕事や活動等)にどのように活きていますか? 

20代後半で自分でチャレンジした結果、形にはならなかったけどとても濃い経験だったし、今の仕事や生き方につながる多くのことをそこで得たと思っています。外国で1人で旅をしたことにより、生きる力を学びました。
誰にでも生きづらい環境はあると思うけど、どの国にいても自分がどうありたいかしっかりわかっていれば、どこでもありのままで生きていけるんだと気が付きました。
また、今でもギャップイヤーという選択肢が身近にあります。ちょうど2022年は自分へのご褒美の1年にしよう。自分にお疲れ様を言ってあげよう。という年にすることを決めました。何歳になってからでもギャップイヤーをとる価値はあると感じていますし、そうやって休んでもいいという選択肢を知ったことは生活の安心に繋がっています。

ギャップイヤーを取ってよかったと思うことや、メリットはなんですか?

子育てをすると自分のためだけに使える時間はほぼなくなります。その前に後悔のない生き方ができたことは確実にギャップイヤーのメリットだと思います。20代で悩みながらも自分のワクワクと向き合ってやりきったと思えから、30歳の時に子供が欲しいとは思えました。また、モロッコで「働かなきゃいけない」という考えを捨て、何者でもなくても生きていけることを学んでよかったなと思います。フラフラしていたギャップイヤー期間は、将来の保証や安全は考えてなかったけど、自分のありたい暮らし方は考えていました。30歳で結婚して子供を産んでその時には自分のビジネスを持っていたい、という思い描いた暮らしはすべて手に入れました。40歳で海のそばに住んでサーフィンをしながら子育てをし、人にインスパイアするような仕事をしていて、話したり書いたりすることでお金を回せるような人になっていたい、というのも全部叶いました。どれだけ周りにマイナスなことを言われても自分を信じてきた結果だなと感じます。

モロッコでの写真

ギャップイヤーについて気になっている方へのメッセージをお願いします。

20歳から40歳の間に周りに合わせて生きてきた人と、その間に自分のやりたいことに正直に向き合ったり好きなことについて考えた人との差はすごく大きいと感じています。今まで出会った私みたいな年齢のギャップイヤー経験者やフラフラしてた人は、本当に良い人生を築いていて、自分をしっかり持った人になっているし、若いうちにそういう経験をしていないと40歳くらいになって敷かれたレールから外れてみようと思っても簡単に抜けられません。

レール上にずっといても本当の幸せって見つかることはないし、乗っかれば乗っかるほど「ありのままの自分」から目を逸らすことになります。
今この記事を読んでいるってことはちょっとでも気になってるってことだし、ここにたどり着いた時点ですごいこと、未来は明るいです。

これでいいのかな、と違和感を感じること自体がいけないことって思ってしまう人がいるけど、私からしたら違和感を感じることはおめでとう。自分が感じる違和感とかモヤモヤに正直になって、立ち止まってみることが人生を変えると思います。外れても世捨て人みたいになってくわけじゃないし、いろんな経験を積んでいけば自分自身のレールを作っていくことができます。

私はギャップイヤーはありのままの自分で生きていくための不可欠な要素だと思います。そのかけがえのない経験をぜひぜひ早いうちに味わってほしいです。

★マーシャンさんのInstagram (@holisticfoodjourney)


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日本ギャップイヤー協会とは

【 肩書のない時間を通して、人生を_____する 】
ギャップイヤーを切り口に「多様な選択肢を広める・ギャップイヤー経験者を支える」活動をしています。

●毎月7日、日本時間19:00からzoomお話会 
→ ギャップイヤー経験者、気になっている人が集まり、テーマに合わせてゆるーく語り合う温かい場です。初めて参加の方も大歓迎。  

●noteで経験者のインタビュー記事  
→ ギャップイヤー経験は100人いたら100通り。年齢もタイミングも違う多種多様なギャップイヤー経験から勇気をもらって一歩踏み出すきっかけになればうれしいです。


質問等ありましたら、Instagram (@japan.gapyear) / Twitter (@japan_gapyear)のDMまでよろしくお願いします :)

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