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家庭での問題と、そこから感じた「負ける上手さ」

 突然ですが、あなたは誰かと口喧嘩になった時、どんな態度をとりますか?

・言いたいことを感情的にぶつけまくる。

・一旦冷静を装って、相手の意見を聞く。

 性格や状況、相手との関係性によって変わると思いますが、概ね上記の2タイプに分かれるのではないでしょうか。

・・・

 先日、家族の今後を巡る問題で、ショックを受ける出来事がありました。

 具体的なことは言えないけれど、お互いの置かれた状況、突きつけられた現実、持っている理想……それらの小さな差異が積み重なって、家族で孕んできた大きな問題が爆発しました。

「誰々のせいでこうなった」「誰々が悪いからこうなった」

 犯人探しは時間の無駄だと思いつつ相手の意見を聞いたり、こちらからも感情的になったり、相手が大人だなと思う所もあれば幼稚な考え方だと思うこともある。気持ちはわかるけど別の面では違うだろと思いつつ100%は同意できないこともあり。

 互いの気持ちのすれ違いにより、傷心の数日間でした。

 その中で凄いなと思ったことがありました。

 うちの母親のことです。

 うちの母親の紹介をしておくと、口を開けばマイナス思考で誰かの愚痴を言ったり、苦労話を聞かせてくれる、ちょっと弱い、よく言えば人間味のある母親です。

 昔は飲食店を一人で切り盛りしていて、その中で家族を養い(僕からみた父親も働いてはいたけれど、母親との仲はあまり良くはなかった。まあ、それが今回の問題の遠因にもなったのですが)子供のことを心配してくれている母親でした。

 飲食店をやっていると、当然客の愚痴を聞いたり、人の文句や世間話が耳に入ったりと、誰かに「合わせる」技術が勝手に身につくようで、家庭内においての母親も、どちらかというと家族の八つ当たりに付き合わされる側の人でした(まあ、その母親の愚痴を末っ子の僕が聞いて「はあ、また始まった」なんて思っていたわけですが笑)

 そこに今回の家族の問題が突きつけられた。

 誰とは言わないけれど、家族の一人から家族の中の問題を母親一人に浴びせる出来事があった。

 その場の状況から、自分も一応話は聞いていたけれど、急な事で話を整理できないまま母親が当たられ(僕も多少は当たられた)家族の中で大きな溝を残す結果になった。

 母親は泣いていました。今まで育ててきたことはなんだったのか。私は何か間違っていたのか。僕と二人だけになった時、愚痴とは違う、弱音やみたいなものを吐き出したんですね。

 思えば誰かの受け皿になり続け、お客さんには合わせてきて、家族の八つ当たりには付き合い続けてきた母親。

 僕は何もできなかったけれど、正直な気持ちを母親に伝えました。

「母さんはいつも誰かの話を聞いてきた。聞き役に徹するってことは、相手を満足させること。相手を立てていること。母さんはそうやっていつも誰かを立ててきた。立てる事で誰かを守ってきた。今回だって、家族のことを一身に浴びて、母さんなりに家族を守った。母さんは凄くかっこいいと思うよ」

 思ったままのことでした。

 母親がそれで納得したのかどうかはわかりません。救われたのかもわかりません。

 ただ、母親は一言だけ「ああ……」と言っていました。涙は少しだけ収まっていました。

・・・

 誰かと喧嘩になった時、母親は常に負けてきた。

 僕も口下手なので、相手との口喧嘩は常に負けてきたし、一人で抱え込むことが多かったと思います。

 でも、母親の姿を見て思ったのは、「負けるのは決して悪いことじゃない」と言うこと。

 野球やサッカー、将棋などのスポーツや勝負事なら多少は勝ち負けにこだわるべきでしょう。

 でも、人と人を繋ぐ縁を維持する中で、些細な口論で勝つことは必ずしも勝ちとは言えないのではないか。

 誰かと関わる中で、聞き役に徹するのは守りのマインドです。守り続けていても、ダメージは残ります。ダメージが底をつくと、当然負けます。負けることで、相手は自分の立場が守られたと安心感を得るし、その安心感は必ずしも気持ちのいい安心感ではないのかもしれません。

 母親に当たった家族も、母親にあたることでスッキリしたのか、それとも自責の念に駆られて後悔しているのか。それは本人にしかわかりません。

 でも、この後に及んでも、僕の母親は最後まで家族の聞き役に徹して、家族の一人を立てた。

 それに家族の一人も言葉を一方的に投げ続けることで自分の立場を悪くするかもしれない(本当はそうあってほしくはないけれど)

 自分がいくらダメージを負っても、明日に向けてまた立ち上がって変わらない日々を過ごす。そんな母親のことを、僕は人知れずに凄いと思うし、立派な人だと思っています。

 母親の気持ちが家族にどこまで伝わっているのか。それは正直なところよくわかりません。

 母親も歳です。鍋をふるっていた体もガタが来ています。

 できれば母親が元気なうちに、家族が揃って仲のいい姿を見せてあげたい。

 そうなれば、聞き役に徹し、負け役に徹し続けた母親の、人生における最後の最後での勝ちになるのではないか。

 そんなことを家族の問題と母親の姿から学んだ。

 そんな密度の濃い数日間でした。

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