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寿命ということ

長く生きていると「自分はいつまで生きられるんだろうな」と思うことが多くなりました。祖父母を葬り、そして父母をこの最近亡くした自分にとっていよいよ自分だという思い。

人生100年時代というコピーがメディアにあふれています。たしかに日本の100歳人口は7万人を越えました。職場の隣机の同僚のお父さんが去年九月に亡くなりましたが103歳でした。

一方で先日従兄弟の娘さんが37歳で亡くなりました。当たり前の話しですが人の寿命はひとそれぞれ。私だって明日命を失うかも知れませんし、あと半世紀生きるかも知れません。

日本は世界有数の平均寿命を誇っています。女性が87歳、男性が81歳。すごいですね。でももうひとつの寿命”健康寿命”というものがあるのをご存じでしょうか。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」というものだそうです。日本は男性が71歳、女性が74歳だそうです。平均寿命に比べると案外短いんですね。日本人の多くは70代、80代を病気と向きあいながら生きているということがわかります。

還暦ということばがあります。またかつては人生は50年とも言われていました。70歳の古稀は「古来稀なり」です。おかげさまで私は人生50年の坂を越えました。人生の中身はともかく仕事は自分なりにはよくやったなと思ってます。自分なりに…。

今”自分なり”に決めていることがあります。「60歳生きられたらあとはおまけだと思うようにしようと」。でもホンネはやっぱりこの世には長く生きていたいですよね。21世紀の日本を世界を現世でみつめていたい。それは神の計画のなすがまま。抵抗はできない。私はさらに思うようにしています。「60歳を過ぎたら5年ごとに自分で自分の長寿のお祝いをしよう、この世に生かせてもらったことに感謝し、あと5年この世に何か恩返しようと思うようにしようと」そのお祝いは1回しかできないかもしれないし10回できたら最高です。でも繰り返すようにそれは神の計画のまま。

そう思うと自分の前に広がる世界や出会う人が愛しく見えてきます。何も私が善人ぶってるわけでもなく。自分に災厄や意地悪する人にさえも。これからも不安にかられたり、お金に困ったり、病気で苦しむことがあると思います。それで怒ったり人を恨んだりすることも多々あると思います。でもどこかで「骨になり、灰となった時点」から今の自分をみつめる視点。そんな視点が加齢とともにリアリティを持つようになってきました。不思議です。


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