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自分の中の男の子と女の子に寄り添うこと

わが家の長女は、食べているお肉から「その動物がどのように屠殺されたか、その時の感情のようなもの」を感じ取ることがあるそうなのですが、先日も「この豚肉、優しい、穏やかな味がする」と言って夕飯を食べながら話してくれました。食事を一口一口味わうことで、その美味しさや感謝の気持ちを深く感じることができるんだなぁと思い、やっつけ仕事で食事をかき込んでいる自分を省みました。


でも現代人の多くが、私の様に食事を「やっつけ仕事」としてサッサと済ませているよなぁと考えたら、末っ子がたまにお邪魔している小学校の給食の時間はまさにそんなやっつけ仕事。以前ニュースで担任の教員が1分程度で給食をかき込む程多忙を極めていると言っていましたが、それを美談として捉えたくないなと。

もし私がその食べ物を作った人や、むしろその食べ物そのものだったとしたら、無造作に口に放り込まれるよりも、「美味しいね」と味わい、楽しんでもらえたら報われるだろうなと感じるエピソードでした。

やさしい味わい🐷


現実的にこなさなければならない様々なタスクがあって、完全に「今ここにいる」のは難しいのが正直なところではありますが、今この瞬間を大切にする事って自分自身を大切にする事と密接に関わっていて、だけど望む未来のために今行動する事もとても重要。この『今ここ』と『こなすべきタスク』との狭間でパラドックスが起こっています。


自分の内側でも似た様な事が起こっていて、内なる女性性(感情)と男性性(理性)の葛藤が、現実の現象や反応として現れると言われています。

「今この瞬間を楽しもうよ!今を味わってほしい、自分に意識を向けてほしい」という女性性の感情と、

「未来に向けて必死に動かないと、やるべきことをやらなきゃいけないでしょ⁈」という男性性の行動。

「私はここにいるよ、わかってほしい!」という女性性。

「必死で動かなければ現実化しないだろ!」という男性性。

この二つが私たちの中で葛藤している。

なんでわかってくれへんの??

今を味わうことも、未来に備えることもどちらも大切。これまでは未来に備える事の方により重点が置かれ、偏った社会が形作られてきました。その間、女性性は蔑ろにされ、恨みつらみが癒やされる事なくここまで来てしまった。


両者の調和を図る事は正論なのですが、まずは癒しが必要な女性性を自分自身がそっと抱きしめる事が必要なのかもしれません。もちろん、これまで1人でがんばらなきゃと思ってきた男性性も…お疲れさまでした。

ハグは癒し✨

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