過ちの代償 其の四
※土佐弁に詳しい方にご監修いただけると助かります。「ここがおかしいよ」というのがあったらぜひコメント欄にお書き下さい。
節子
一
「橘 節子です。今日からどうぞよろしくお願いします。」
そう言って節子はぺこりと頭を下げた。
節子の両親は先の空襲で命を落とした。一人遺された節子は、田舎に住む親類の家に身を寄せる事になった。M村の太夫を務める小松和夫は節子の母方の伯父に当たる。その和夫の家に今日からお世話になる事になったのだ。
「よう来たな。ご両親のことはお気の毒さまちや。今後はここを自分の家と思ってや。」
和夫とその妻であるすゑが節子を出迎えた。
小松家の子どもたち、節子より二つ歳上の勇と一つ下の幸子が遠巻きにこちらを窺っている。
「ありがとうございます。」
和夫とは幼い頃に一度会ったきりで、ほぼ面識がないに等しい。にも関わらず温かい言葉を掛けられ、節子は感謝で胸がいっぱいになった。
早く村の生活に馴染んで、少しでも役に立てるようにならなくては。
両親を喪ったばかりの十歳の少女は、こうして小松家の一員となった。
二
戦争はどうやら節子が村に来てから程なくして終わったらしい。ラジオを所有する人間はこの村にはほとんど居なかったので、終戦の話も口伝てで聞いた。
村には東京から来た節子には奇妙に感じられる風習があった。小松家は周囲の人々から「狗神筋」と呼ばれていた。太夫である和夫は、村の人々から様々な相談を受け、呪術を用いて医者では治せない病気を治したり、神々や精霊の《お叱り》を伝えたりするのだった。
ある時、節子の同級生の母親から「娘の目にできよった腫れ物が治らん」という相談を受けた。すると、和夫は米占をして原因を探る。どうやらこの腫れ物はどこかで神霊の怒りを買った事による《お叱り》のようだ。
「近頃、川でなんかの生き物を捕っとらんか?」
和夫が尋ねる。
「そう言えば、蛙を取っちょったっけなぁ。」
「そい蛙が霊気なんじゃ。霊気を怒らせたき、ほん障りが娘に出ゆうんじゃ。」
そう言うと、和夫は御幣を振り祈祷を行った。
数日後、相談者から「腫れ物が治っちゅう。」という報告と謝礼が入った。
こんな具合で、小松家にはひっきりなしに相談者が訪れた。相談の内容は小さなものから大きなものまで様々であった。生霊に悪さをされるとか、誰それに呪いを掛けて欲しいというような物騒なものも度々あった。そういう依頼を受ける場合は太夫も慎重になる。人を呪うと返りの風が吹いて、依頼者のみならず太夫自身にも危険が及ぶ事があるからだ。大抵の場合は依頼者を説得して思い留まらせるため、節子はまだ和夫が呪詛の祈祷をするのを見たことがない。
和夫は有能な太夫として村の人々に敬われていた。祈祷の報酬が入るため、小松家は周囲の家に比べると裕福であった。しかし、「あの家は“狗神憑き”やき」と、隣近所の人たちがひそひそと囁き合うのを節子は幾度も耳にした。“イヌガミツキ”の意味は分からないものの、どこか疎んじられているような気配は幼い節子にも伝わった。余所から来た自分を家に引き取った事も関係があるのかもしれない……そう思うと、節子は居た堪れない気持ちになるのだった。
節子が呪術に興味を持つと、和夫は呪術に纏わる物語を記した祭文を出して来ては読ませてくれた。達筆な行書体で書き記された文字を読むのは節子には難しかったが、読める箇所だけを拾って読んだ。
……四方さんざら みぢんと乱れや ・・・ 向ふわ知るまい こちらわ 知り取る……
「伯父さん、これは何の呪文なの?」
節子が無邪気に尋ねる。「どれ」と覗き込んだ和夫の面持ちが、すっと引き締まった。
「これは呪詛の祭文やき、迂闊に口にせんときよ。」
嘗てなくぴりりとした空気を感じ取り、節子はそれ以上深く尋ねるのをやめた。
つづく
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