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子どもが好きならば。

みなさまどうも、Janeです。
当ブログは本日、スターバックスからお届けしております。

うちの長女が塾へ通いたいと言い始めて約2ヶ月。
土日以外ほぼ通ってるんちゃうか?というくらい、結構気合い入っていて辞める気配はありません。

特に尋問はしないようにしていますが、今日判明したことが1つ。


長女:「塾の方が圧倒的に落ち着く。うるさくない。」

はい、家では2人の妹たちがとち狂ったように騒ぎ回っているので、何をするのにも集中できないんですよね。
そういう意味では、居場所が一つ増えたという意味でも良かったのかな、と思います。

私の財布は軽くなるばかりですが。

それでも、十分頑張りを見せてくれているので、良き投資と考えております。


先日、私が通っている発達障害支援センターで、相談員さんから「Janeさんはお子さんへの関わり方が上手ですね」とお褒めいただきました。
褒めてもらうのは嬉しいものですし、せっかく褒めてもらったのだから「そんなことないですよほ〜」なんて謙遜もしません。相手が本音なのかどうか、は別として。

まあそれでね。

自分の子ども達への接し方は、色々考えながら試行錯誤で関わっているのは事実です。それが上手なのか、下手なのか、は別として。

私の【常識】は一般的には【非常識】である場合が割と頻繁にあるので(笑)、迷いが生じた時は、社会人として卒なく過ごしている夫に判断の手助けを願うこともあります。

私は頑張ったのに!
私は正しいのに!
私は!私は!私は!


じゃあ、ただの自己満の自己中ですから。
子どもと関わること、特に育児は色んなアンテナを張って色んな視野を持って柔軟に対応できる余裕がある程度ないと切羽詰まって大変なことになります。
生半可なものじゃありませんよ。

私はだいぶとち狂った人間ですから、間違い、失敗、しょっちゅうありますが、子ども達に口を酸っぱくして言っているように、自分も、『失敗してもいい、そこから学んで次回に活かすことができれば』というスタンスでいたいと思っている次第です。

私のところは3人の子、がいますが、それぞれ関わり方が違います。ニーズも性格も違う。同じことは、出身(私の胎内)が同じ、だけなんかな。というくらい、違います。
育児本なんて、一生懸命書いている人には申し訳ありませんが、はあ?という感じもします。
人の数だけ育て方はあるでしょうに、そんな教科書的なこと書くから自分追い詰める人だって出てくるんだろうに。

不安がある人は何かに縋りたくなる傾向があると思いますが、それが育児本だったら?育児雑誌だったら?
キラキラ輝くママ達、幸せそうな子ども達、なんで、ウチだけ…?

そんな孤独を誘発する事は出版社には関係ないのです、だから福祉ではないと思う。バイブルになる可能性もあるけど破滅を招くリスクもある、とてもとても恐ろしい本だと思います。

とか書いてたらどこかからお叱りを受けそうですが。

うちは、上の子(ADHD)、真ん中(ASD)、下の子(APD)とそれぞれ、合理的配慮を必要としている子たちです。

育てやすいかって言われると、身を削られる思いをすることも、心から大量出血することも、頭脳が麻痺することも、多々あります。
ですが、そもそも完璧を求めてないのと、あとは、私は実母を反面教師にすることが子どもを育てる条件だと頭の中で決めていたので、まあまあ、なんとかやれています。

正しいのか…それは、未来までわからないけどね。

良かれと思ってという押し付けほど迷惑なものは無かったりしますから。

因みにロクでもない事を書きますが、私はもともと、子どもが大好きでした。純真無垢でちっこくて、言うことやることが何もかもかわいらしい。

ですが、出産を機に色々変わりまして(よく体質なども変わると言われるでしょう?)子ども達への考えも変わリましたね。なんとなく、自然に。

以前は子どもという存在全てに愛をばら撒いていた気がしますが、子どもが生まれると【子どもの人間関係】というものに触れざるを得なくなる。
子どもと接する確率がぐんと上がるのです。
(子どもと接する職種に就いている人の場合は違いますね。)

よその子はかわいくない、ウチの子だけがかわいい!

だなんて、言ったら背筋が寒くなります(自分で)

よその子もかわいい子はかわいいんです。

でもね、


なんやこのクソガキは


とか、


この子どんな親に育てられたらこんな冷酷なこと出来るんや


だとか、
色々思うところがあるわけです。

もはや子どもは無条件に全員天使じゃなくなりました。
ごめんよ、子ども達。君たちに原因が全てあるとは思っていないんだ。

誤解を避けるために記載しますが、なんらかの事情があって一般の子と違う行動を取る子どもには私は割と寛大な方だと思っています。
自分自身が診断持ちの障がい者であるという事実を基に、大概、この子のこの行動の所以は育て方云々ではないというのは気配で解ります。

問題なのは、子どもを方向音痴に溺愛しすぎて叱ることもできず無自覚・無知の連鎖が続いている迷惑系家族なんです。そう書くと、悪いのは子どもじゃない、というのが分かってきますね。

子は親を選べないと言いますが、それは確かにそう。
でも私は親には恵まれなかったけど、親ガチャに外れたという表現は使わない。
なんか、負けてる感を勝手に感じてしまうんです。

親に恵まれなくても、自分の意思、身を置く環境、繋がる人など、次第でいくらでも生き直すことはできます。影や悪夢は付きまとう宿命があるけど、それでも前へ進む宿命もあるんです。

何が言いたいかというと

私は綺麗事が嫌いだ。

そして

責任転嫁も嫌いだ。


ということ。

正直に、自分の意思を持って、柔軟に生きていきたいものです。
傷ついても、癒えます。傷跡は残っても、生きれます。


さて、そろそろ長女を迎えに行こう。
では今日はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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