人にとって宗教とは何だったのか
始めに私はどの宗教を信仰しているわけでもない、個人的ではあるが世界にある数多の宗教と歴史と人間性との関連について興味があった。
宗教または信仰を持つ国々、宗教というものに対し嫌悪感を抱くもの、宗教といえばそれに対する考え方は様々であり、いつの時代も議論の余地のある部分ではある。
実際、宗教=悪という印象を持つ人は多い
では何故それは悪となるのか?
実存するものとしても胡散臭いものも多く、争いの火種となる事も多く、ましてやその名を借りて人の命を奪う事もあった。
この印象らは人にとって宗教というものへの感覚を疑念へと変えていった。 嫌が応にも常に歴史の傍らには宗教があり、その得体の知れないものと、曖昧な答えに人は常に何かどす黒い何かを抱えていたかのように思う。
しかし、答えを出すのは早すぎる気がする。
果たして本当に宗教は悪なのか、宗教こそが争いの歴史の原因だったのか?
これまで人は個人という最小単位から、国と言う大きな単位に至るまで、それこそ支配的な観念の元、富を望み、優越感を欲し、常に満たされることへの欲求と、利害というものを気にかけ営みを続けてきた、これらの事を全て正当化するために何かを利用してきた。それこそが他でも無い宗教だった。
結論から言うならば、宗教を悪たらしめたのは人であり、人そのものが悪と言える所業を引き起こした元凶なのでは無いのか、それを棚に上げ全ての罪を宗教に投げてしまうのは、無責任だ。
宗教というものは本来哲学として扱う事が出来るほどに、深かった可能性がある。
矛盾なき秩序を探求できるほどに、澄み渡ったもの。
表面的にとらえるのでは無く、何故人と宗教は共にあらねばなかったのか、
ネオンの灯ることのなかった遥か昔、
空には無数の星があり、人は嫌が応にもその壮大な宇宙を目にせざるを得なかった、
その頃の人類の心を想像するならば、
何か得体の知れない大きな力が確かに存在し、その壮大な、うねりの一部として我々一人一人が存在していると、そう感じざるにはいれなかったのではないのか。
人は神という不確かな存在を傍らに置かねばならぬほど、この命の尊さを噛み締めていた可能性すらある。
それが宗教であり、宗教の持つ哲学性では無いかと思う。
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