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    22 /1〜

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    真理はすこら中に転がっている。

最近の記事

笑うということの本質の根は比較にある。 楽しい、嬉しい、微笑ましい 一見して良しとされるあらゆる事柄にも対象がある 人は成長の過程であらゆる差別の中に住む事から逃れることはない 人を絶対的に傷つけない良きことなどそもそも存在せず何らかの犠牲の上に成り立つ 赤子のみが対象を持たない

    • 都市と木 空間を飛ぶ鳥 人の中にある私 各々が所有する空間は 明らかに異なっていたにも関わらず 重合しているようにすら見えるように組み上げられたその空間に一番場違いなのは誰だったのか 誰も受け入れたつもりもなく 共存を強いられ抵抗もなく が、その実完全に分離した水と油の世界

      • 原理的想起に委ねる認知の同定

        存在は認知者を必ずしも所有しない ・存在は認知者と関係性を保つ場合とそうでない場合があり、独立した部位と重複した部位を持ち、完全に重なる関係性に無いことは明白である。 認知者は必ずしも存在の存在性を明らかには認知しない ・認知者は存在のありのままを捉えることは不可能であり、必ず意識や視座により、同定するという作業の先にある為、殆どが存在の明確な姿を捉えないことは明白である。 この事から存在と認知の関係性は破綻していると言える。 認知はその瞬間においては常にその意識外から始

        • 無と有の間

          神の概念について この世界に神などが存在する時、 その様相は我々の認知内に常に押し込められる。 既に存在してしまう現行の世界にある神については これまでも何度も記しては来た 多くの人が神の本質から遠ざかっている。 神は一つしかいない。 人の世にあまりにも多く神がある理由はただ一つ、 神という概念の加工後にその言葉を使用する。 この次元に矛盾は通常起こり得ない、 人は無神論者であっても神の束縛からは逃げることはできない。 その概念を矛盾なく説明しようとした時その答えがた

        • 笑うということの本質の根は比較にある。 楽しい、嬉しい、微笑ましい 一見して良しとされるあらゆる事柄にも対象がある 人は成長の過程であらゆる差別の中に住む事から逃れることはない 人を絶対的に傷つけない良きことなどそもそも存在せず何らかの犠牲の上に成り立つ 赤子のみが対象を持たない

        • 都市と木 空間を飛ぶ鳥 人の中にある私 各々が所有する空間は 明らかに異なっていたにも関わらず 重合しているようにすら見えるように組み上げられたその空間に一番場違いなのは誰だったのか 誰も受け入れたつもりもなく 共存を強いられ抵抗もなく が、その実完全に分離した水と油の世界

        • 原理的想起に委ねる認知の同定

        • 無と有の間

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        記事

          五感が満たされることは無い 社会のいや、世界の軋轢からの解放を 唯一万物が握る事を知った時 あらゆる地上の人知を凌駕する程の 知の訪れを理解する 恩恵、恩寵、讃歌、そんなものはそこには無い あるのは凌駕と統治、 人は識を統治することで肉体を死の前に留め 意識という肉体を手にする

          五感が満たされることは無い 社会のいや、世界の軋轢からの解放を 唯一万物が握る事を知った時 あらゆる地上の人知を凌駕する程の 知の訪れを理解する 恩恵、恩寵、讃歌、そんなものはそこには無い あるのは凌駕と統治、 人は識を統治することで肉体を死の前に留め 意識という肉体を手にする

          世俗、獣の巣窟 獣とは精神的弱さを元として応答機関を反芻する生き物 純粋すぎるほどの動物的応答を元とした生命の自意識は環境自体が壊された姿を理想的環境とみなすが故に世界は本質的理想象から離れた世界に理想郷を築く。 人は常に獣と共に獣として理想郷に住む 故に反射区なき生き物は滅ぶ

          世俗、獣の巣窟 獣とは精神的弱さを元として応答機関を反芻する生き物 純粋すぎるほどの動物的応答を元とした生命の自意識は環境自体が壊された姿を理想的環境とみなすが故に世界は本質的理想象から離れた世界に理想郷を築く。 人は常に獣と共に獣として理想郷に住む 故に反射区なき生き物は滅ぶ

          視覚と聴覚の情報量が釣り合わないことで 精神が壊れそうになったりとかある 急速に冷却された精神が体の皮膚くらいまで溢れそうになった 不安で周りの音がなくなった 夜だからか 月くらい見えたなら違ったかもしれない やばいと思ったので無意味にテレビを付けた そして音量を上げた

          視覚と聴覚の情報量が釣り合わないことで 精神が壊れそうになったりとかある 急速に冷却された精神が体の皮膚くらいまで溢れそうになった 不安で周りの音がなくなった 夜だからか 月くらい見えたなら違ったかもしれない やばいと思ったので無意味にテレビを付けた そして音量を上げた

          次元分離現象の一端として フェルミ粒子は産まれた。 振動していたのは当初空間だった ボース・アインシュタインという現象は 次元分離前のボーズ粒子状態 エントロピーが跳ね上がることで 時間には濃度の変化が生まれた フェルミの角運動量を整数化するために重力場は適応される。

          次元分離現象の一端として フェルミ粒子は産まれた。 振動していたのは当初空間だった ボース・アインシュタインという現象は 次元分離前のボーズ粒子状態 エントロピーが跳ね上がることで 時間には濃度の変化が生まれた フェルミの角運動量を整数化するために重力場は適応される。

          カオス位相論的に観測された破れは新たなる対称性を構築し全ての理論を可能にする。

          AがBであるとき、cはbである。 とはいったものの、 定義が定義する枠組みはそのものの側面の一部分でしかない。 定義が間違えていたのだろうか? いや、この論考はそもそも 定義されるものの状態などそのものの一部でしかないという話。 我々の置かれた環境、 我々の生きる条件にあった環境、 その条件により表明された答えがココにある。 メビウスの輪? 何故それにそこまでの神秘的響きを要求する必要があるのだろうか? 我々が蟻であったときその世界には表も裏もなかった。 ただ広がる平原を

          カオス位相論的に観測された破れは新たなる対称性を構築し全ての理論を可能にする。

          その死を許すモノ

          崩れ落ちるその手に感じる哀愁 それこそが生 死とはあらゆる部分に紛れている 化学的変化すら死を通過し あらゆる物の変化と変化の間に眠る死とは まさに貨幣のようなものである。 全ての瞬間が死に続けた事で、今があるならば これより先に訪れる死とは 幾重にも重なっていく。 肉体の死が訪れるより前に訪れた死もあり 肉体の死より先へと生き続ける概念もある しかしその概念の場は、 断続的に訪れた死とは異なる層を走り抜けた生でもある。 人は何を殺し、何を生かし続けていくかを 決

          その死を許すモノ

          社会的ネクローシス 精神的ネクローシス 意識的ネクローシス 意思としてのネクローシス 超えざるものは見ない 終わり続ける世界 蓄積され濃度を上げたのは純潔たる世界 アポトーシスとは 過去となった世界への手向けの花 何を感じ切り落とすかが生の完成であり 壊死こそが生の情感である

          社会的ネクローシス 精神的ネクローシス 意識的ネクローシス 意思としてのネクローシス 超えざるものは見ない 終わり続ける世界 蓄積され濃度を上げたのは純潔たる世界 アポトーシスとは 過去となった世界への手向けの花 何を感じ切り落とすかが生の完成であり 壊死こそが生の情感である

          科学的観念すらもはや宗教的で あらゆる常識が疑わしい あらゆる概念的機能の停止程実直な宇宙観は無い もはや世界の事、宇宙の事は体に聞くしか無い 全てが作り出した確実な物が、 確かな実象として写す鏡はココにしか無いのだから底まで堕ちるしか手法は無い。 その場の特徴は集合である筈だ。

          科学的観念すらもはや宗教的で あらゆる常識が疑わしい あらゆる概念的機能の停止程実直な宇宙観は無い もはや世界の事、宇宙の事は体に聞くしか無い 全てが作り出した確実な物が、 確かな実象として写す鏡はココにしか無いのだから底まで堕ちるしか手法は無い。 その場の特徴は集合である筈だ。

          自我の主導権はそれぞれで持ってていい 俺には俺の感受点があって、 僕には僕の感受点があって、 私には私の感受点があって、 我には我の感受点があって、 また別の感受点もあった、 それぞれがどういう感受点を持ち どのように世界を捉えるのかを理解しあう、 自我は相互作用

          自我の主導権はそれぞれで持ってていい 俺には俺の感受点があって、 僕には僕の感受点があって、 私には私の感受点があって、 我には我の感受点があって、 また別の感受点もあった、 それぞれがどういう感受点を持ち どのように世界を捉えるのかを理解しあう、 自我は相互作用

          空の体を持つ子供と行列の夢

          ある病室 時間から取り残された空っぽの体が カテーテルに繋いであった、 口に繋がれていたそれには空気と食べ物が満たされ 常に供給されていた 嫌な音をゴボゴボ、ガラガラと響き渡らせながら 繰り返される異様な状態がそこには生まれていた 何袋分吸い込んでも満たされないその体はまだ幼く、 あっという間に全てのカテーテルを消費してしまった。 何か食べ物をと急いで準備した。 色々考える隙もなく、雑炊を選択したが それが治療的に問題があったかは吟味する時間すらなかった、 それは私

          空の体を持つ子供と行列の夢

          神をも含めあらゆる他者を必要としない。 会話など成立しなくて良い、 個は深のシステムの生贄として身を委ね ただ唯一の個の完成にのみ突き進む、 個は全の中の1ではない 1+1=2ではない 1は2の中にはない、 1と1と1と、1の群れ 1は位置 言葉遊びではなく まさに位置である

          神をも含めあらゆる他者を必要としない。 会話など成立しなくて良い、 個は深のシステムの生贄として身を委ね ただ唯一の個の完成にのみ突き進む、 個は全の中の1ではない 1+1=2ではない 1は2の中にはない、 1と1と1と、1の群れ 1は位置 言葉遊びではなく まさに位置である

          発芽

          人の意識は完全に個人管轄のうちに完結するなんてことは確かに起き得ない。 何処か因果的要因がその根に必ずある以上 本質的には人の意識は培養されている。 問題は温度差 そもそも人は 全体的に意識の場という物の重きを、その主導性を、自己意識を把握しているようにも見えるが、 それそのものがやはり幻想である。 それは、 その理由が精神体系の複雑さが存在するが故にであるが、その複雑さとは、さらにその深くにある事実そのものがさらに複雑であるからでもある。 その複雑性に触れれば人