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読書日記『暴走する脳 生贄探し』中野信子&ヤマザキマリ

進化の方向性としては多様性を支持するように進化しているはずなのに、貴重なはずの「異質な情報」「異質な思考」が、生贄として消費されてしまう。そして、それは誰の心にも湧き上がる負の感情で日本人の脳の特徴であるという。
いつもながらの共感、納得の嵐だった。

第1章 なぜ人は他人の目が怖いのか 中野信子

幸せそうな人を見ると、モヤッとする、他人の不幸は蜜の味、そうそう、自分にも大いに思い当たることである。「出る杭は打たれる」という諺は日本的な発想で、日本人は自分が損をしてでも他人をおとしめたいというスパイト行動で足を引っ張ることが多い。一方で、日本人は社会的振る舞いが節度ある礼儀正しいものとして評価されているものの、それが自分が怖い目に遭わないようにするための同調圧力によるスパイト行動と言えなくもない、というのは面白い考察だ。

第2章 対談「あなたのため」という正義〜皇帝ネロとその毒親

コロナ禍で人は「正義中毒」にはまり、社会のルールを破る人を見つけて制裁を加え満足しているようだ。本人は正義を振りかざしているのだから、何も悪いことはしていないと思っているが、人は正義の名のもとにどんなにも残酷になり得るということも知る必要がある。
この章では、中野信子先生とヤマザキマリさんの対談で、『プリニウス』で描かれた皇帝ネロについて分析している。暴君として知られている皇帝ネロだが、『プリニウス』の中では正義中毒に基づいての行動ゆえに、感情移入する読者も多かったとか。しかし、ストレスのせいでおデブになったという含蓄に富む逸話もヤマザキマリさんならではだ。これも共感を呼ぶ一因かもしれない。

第3章 対談 日本人の生贄探し〜どんな人が標的になるのか

標的になりやすい人の前に、群集心理の危険性を挙げている。人は群れることで得られる開放感に安堵と幸福を感じる、それによって単独なら踏み込めない大胆なこともできる。人をおとしめようとすることに快感を覚えるなんて恐ろしいが、仲間といることでオキシトシンが分泌され、安心な環境にいることでセロトニンが不安を打ち消すのだろうと中野先生が解説する。どうもそういう心理になりやすいのは仕方がないのかもしれない。自分が正義側になることができたり、一時的に称賛されたりすると麻薬的に働いて瞬間的に不安を忘れられる。さらにいうと、正義というのは本当に正しいことという意味ではなく世間体にちょうどいいという状態でしかない。
こういった要因を様々な観点から対談によって明らかにしていくと、なるほどと頷きながらも恐ろしさが増してきた。
さて、そんな議論の末、生贄になりそうな人はどのような人かというと、「得していそうな人」。圧倒的に財力、知力のある人に刃向かったりしないけど、自分と同じ境遇だと思っていた人が、なんだか得して嬉しそうなのは気に入らないというのが発端になるようだ。

第4章 対談 生の美意識の力〜正義中毒から離れて自由になる

正義中毒は、これからもなくなることはない。ではどうすればいいか。
理解することについて、悪という概念についてに続いて話題が美意識を持つことに移っていく。人間のことだけを考えるのではなく、そこにある自然、生物をあるがままに感じる、という地球規模的思考のもつ力に言及している。メルケル首相が、コロナ禍でいち早くクリエーターたちに経済的支援を行なっているが、「親愛なる芸術家のみなさん」と語りかけ、どれだけ大切な存在かというリスペクトを示している。こういう力を過小評価しているのが日本なのだと思った。

第5章 想像してみてほしい ヤマザキマリ

ここからはイタリアで育ち、イタリア人の夫をもつヤマザキマリさんが、自分の体験をもとに記述している。日本には世間体という戒律のようなものが存在し窮屈な生きづらさがある。環境が違っても想像力があれば豊かに生きることができるはずなのだが、ヒトという生き物は、体とメンタルのバランスを鍛えて整えないといとも簡単に危険生物化してしまうと危惧している。
また、日本では群れへの統一条件が外国よりも厳しいと感じているとのこと。

私たちは帰属している群れから弾かれないよう日々積極的に周りと同質の価値観を備えていくようになります。今の日本の社会では、基本的に自分が目立ってしまわないよう自我や個性を葬って、そこではじめて精神は安寧を得ることができるわけですが、私にはそうした他者の判断による存在価値による審判と、多様性を許されぬ社会に、ある種の凶暴性が潜んでいるように思えてなりません。

そして、自分の存在を誰からも認めてもらえない恐怖心が、群れの根幹を成す動機になっていると指摘し、自他ともに失敗を許さない時代でもある。
ここでフェデリーコ2世の例から、捉え方を変えてみてはどうかと提案している。

自分と分かち合えない意見や思想とぶつかったら、まずはそれを興味深く、面白い現象として受け入れてみればいいのです。

そんな簡単にいくとは思えないが、自分とどのように違うのか冷静に分析してみれば動揺して同調圧力にひれ伏すことも少なくなるかもしれない。そういえば、生贄という言葉も残酷な印象があるが、私がイメージしていたのは会社やムラ社会における「吊し上げ」のようなものだった。世間体、同調圧力、昔はあったねと言われる世の中になるだろうか。

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