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ペンネアラビアタの思い出

 ペン先に似たパスタだからペンネ。
 怒りを連想させるほど辛いからアラビアタ(イタリア語で怒りの意)。
 トマトピューレの作り置きか缶さえあれば簡単に作れる料理ですけど、私はこのペンネエアラビアタが好きなんです。
 以前、イタリアをぐるぐるした際にも、その発祥地と言われているラツィオ州周り(特にローマ)で美味しいペンネアラビアタが食べられるお店がないものかと探したくらいに。

 そのときは車でイタリアの南側、特にシチリアを二週間以上かけてグルグルした後、最後にローマで美味しいペンネをと意気込んでいました。
 それは旅の前半から突発的に、同行人と「イタリアのパスタのルーツを探ってみようか」みたいなノリになっていたからだったんですが、ローマはその旅程の最後に当たっていたこともあって、まあローマに行ったら食べるよね、ペンネアラビアタ。――と、当たり前に思っていました。
 ところがローマ市内で入ったリストランテの一店目。
「まずはアラビアタソースのパスタだろう。そしてもちろんペンネだろう」と勢い込んでメニューを探してみたところまでは良かったんですが、パスタの品目が多いお店と地元のお爺ちゃんに聞いてそのお店に入ったにもかかわらず、ペンネアラビアタの文字はどこにもないんですね。
 聞いたところではこの土地の名物だという話だったのに。
 で、ちょっと悩んだあと、給仕のお兄さんが近くへやってきたのをいいことに、私の怪しげなイタリア語を駆使して聞いてみたんですよ。
「こんなに沢山のパスタ料理があるのに、ペンネアラビアタはないの?」と。
 するとお兄さん、なにやら迷った末に、わざわざ料理長っぽい人を連れてきてくれました。
 そこで、もう一回、今度は怪しげなイタリア語だけではなくて英語も駆使して、なんでやねんと聞き直してみました。
 結果、料理長っぽい人がちょっと複雑な表情をしながらも教えてくれたんです。
「ペンネアラビアタは確かにこの土地では特別な料理だけど、同時に料理人がパスタの練習で作るような単純なものでもあるので、うちのお店では出していないのさ(私の怪しいイタリア語解釈での意訳)」と。
 まあようは、そこは「リストランテ」に分類されるようなディナー中心のお店だったので、簡易な料理に属するペンネアラビアタは出してないというような感じだったようです。
 当然落胆はしましたが、まあしかし、納得のいく話でもありました。
 もうちょい力の抜けたお店のほうが、ペンネアラビアタは置いてあるんだということだったんでしょう(実際そうでしたし)。

 でまあその後、普通にディナーのコースを頼んで、ついでに暇そうだった給仕のお兄さんと雑談をしながら美味しい食事に舌鼓を打っていたんですね。
 するとお兄さん、さっきの料理長っぽい人に手招きされて、奥に呼ばれていきました。
 それを見て一瞬、あら、まさか仕事をサボって変な日本人達とくっちゃべってたのを咎められてるのかな? と思ったんですよ。
 もしそうだったら、悪いことしちゃったなあと。
 ところがお兄さん、奥へ入っていって数十秒も経たずに戻ってきました。
 しかも、その手にはパスタの入った大きなお皿を抱えていて、なにやらニコニコ顔です。

 さて、もうお分かりとは思いますが、お皿に盛られていたのはペンネアラビアタ。しかも、山盛りのそれだったのでした。
 お兄さん曰く、普段、この料理はメニューには入れないのだけど、せっかくだしということで頼んだメニューとは別個に、厨房が即席で作ってくれたとのこと。

 イタリアのお店の人たちは基本フレンドリーなことが多くて、特に田舎では外国人と見るや自慢の料理をサービスしてくれることは多かったんですが、まさか、割と気取ったローマのリストランテでそんなことをしてくれるとは思いませんでした。
 東京で言えば、銀座のサヴァティーニあたりで料理人がノリで作ったものを出してきた。――みたいな感じですから。
 とはいえ、そんな驚きは置いておくと、ローマ入りして最初のディナーでペンネアラビアタにありつくことができたわけです。
 それも、一流の料理人がわざわざ作ってくださったものを。
 当然、とても幸せでした。
 ただ一点を覗いては……。

 いやですね。イタリアの料理って、コースみたいな頼みかたをすると量がもの凄く多いことがほとんどなんですよ。
 その夜に入ったリストランテも、もちろん例外ではありませんでした。
 つまり、そもそも頼んだコースだけで既に同行人も私も持て余し気味だったんですね。
 そこへ、山盛りのペンネアラビアタがやってきたわけです。
 結果、そりゃあもう苦しくて苦しくて。
 料理自体はどれももの凄く美味しいし、異国情緒もたっぷりで、そして何よりお店の人たちのサービス精神が嬉しくてほんと幸せなんですが、それでもやっぱり辛い。
 もう根性で食べ切りはしましたけど、帰りのホテルへの道行きがとてもキツかったことは言うまでもありません。
 万物を司る物理は、根性では変えられないのですね。
 これがあれですか、質量保存の法則ってヤツですか(大袈裟)。

 ちなみに、そんなことがあると普通それから数年は「いやあ、ペンネアラビアタはローマのあの夜の一件以来もう食べる気がしないんだよね」とか言いがちですが、このときは、翌々日にはまた別のトラットリアで昼からペンネをたらふく食べていました。
 多分、あの夜は苦しさよりも美味しさや楽しさのほうが勝ってたからなんでしょうけどね。

 というこれは、料理したてで熱々のペンネアラビアタが盛られたその瞬間を、なんとなく蘇った思い出と共に切り取ろうとした。――そんな日の一枚なのでした。

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