見出し画像

30年日本史00501【平安末期】一ノ谷の戦い 知章の最期

 さて、平家方の総大将であった平知盛の動向を見ていきましょう。
 知盛は源氏方の主力である範頼軍と戦っていましたが総崩れとなり、兵たちは次々に敗走していきます。気づくと知盛は、息子の知章(ともあきら:1169~1184)と家来の監物頼方(けんもつよりかた:?~1184)と3騎だけになっていました。
 3人は助け舟に乗ろうと波打ち際を駆けていましたが、敵10騎ばかりが追いついてきました。敵が知盛を大将と見定めて斬りかかってきますが、知章が父を助けようと間に入り、斬られてしまいます。
 息子の戦死に知盛は呆然とするばかりで何もできませんでした。すかさず監物頼方が敵を斬り伏せましたが、次なる敵が襲い掛かり、監物頼方もまた斬られてしまいます。息子と家来を失った知盛は一人逃亡し、ギリギリのところで助け舟に乗ることができました。
 舟は小さく、馬を乗せる余裕がありません。舟に乗っていた平家方の田口重能(たぐちしげよし)が
「名馬が敵の手に渡るのは惜しい」
と言って知盛の馬を殺そうとしますが、知盛は
「私の命を助けてくれた馬だ。誰のものになってもよいではないか。助けてやってくれ」
とこれを制止しました。馬は主人・知盛との別れを惜しんで、波打ち際で二、三度いなないたといいます。のちにこの名馬は、源氏方に捕らえられ、後白河法皇に献上されることとなりました。
 知盛は平家一同と合流し、兄・宗盛のもとへ敗戦の報告に向かいました。我が子や家来が目の前で討たれたことを説明し、
「子が討たれるのを助けずに逃げる親など、他人事であれば私はひどく非難したことでしょう。しかしわが身のこととなると命は惜しいものと思い知らされました」
と語ったといいます。武勇にすぐれた知盛でさえ、いざとなると命が惜しいものだということでしょう。
 これを聞いた宗盛は
「知章が父の身代わりになったとは、何と健気なことか。腕も利き、心も剛毅で、よい大将軍になるべき者だったのに」
と涙ぐみ、その場にいた者たちは皆で涙を流したといいます。知章は父を助けるために、僅か15年の短い生涯を閉じたのです。

この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?