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30年日本史00032【旧石器】藤村メモの公表*

 平成13(2001)年7月25日。戸沢は藤村への聞き取りを行い、袖原3遺跡、小鹿坂遺跡、長尾根遺跡の捏造について自供を得ました。
 8月16日。藤村から戸沢に、捏造遺跡のリストが送られてきました。リストには26箇所の遺跡が記載されていました。
 9月13日に第二回の聞き取りが行われました。戸沢が30分程度聞き取って帰りかけたところ、藤村が「今日はお話ししたいことがある」と言って呼び止め、衝撃の事実を語り始めました。藤村は、昭和56(1981)年の座散乱木遺跡での発見が捏造だったと言い始めたのです。
 戸沢は呆然としました。もう20年も前に発見され、「第二の岩宿」と呼ばれ、前期旧石器時代存否論争に決着を付けたと言われるあの座散乱木遺跡が捏造だとしたら、これまでの旧石器研究の全てがひっくり返ってしまいます。
 この日、捏造遺跡のリストは42箇所に増えました。単に数が増えたというだけでなく、あの座散乱木遺跡が入ったということは考古学界にとって非常に大きな意味を持つこととなります。
 9月29日。藤村が戸沢委員長に告白した42箇所の捏造遺跡リストが毎日新聞取材班に漏れ、新聞にスクープされました。このリストには、座散乱木遺跡も馬場壇A遺跡も高森遺跡も入っており、学界に衝撃を与えました。
 10月5日。藤村への聞き取りを終えた戸沢委員長は、藤村が作成した告白メモの一部を公開しました。この公開の仕方があまりに不思議であったため、様々な憶測が流れることとなりました。戸沢委員長の発表した藤村メモの一部を抜粋しましょう。
「上高森遺跡第一次~第六次まで調査が実施されています。第一次調査・第二次調査のA地点の石器群は全て(私■■■)で捏造を行いました。第二次調査B地点の石器埋納遺構1号、そして、第一六層上面・第一八層上面から発見された石器および第三次調査の石器埋納遺構2号、石器埋納遺構3号、そして第九層上面・第一六層上面の石器は全て捏造は行っておりません。第四次調査・第五次調査・第六次調査については全て捏造であり(私■■■)とで行いました。責任は全て私にあります」
「上高森遺跡第五次調査は全部私■■■■■■とで捏造してしまった。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■全ての責任は私にある」
 戸沢委員長いわく、「藤村氏のプライバシーを守るために、特に病状に触れるような記述を黒塗りにした」とのことでした。しかし「■■■■■■とで」という記述は何だか共犯者を匂わせる記述に見えますね。戸沢委員長が言うには、ここには共犯者の名前が入っているのではなく、藤村の病状が明らかとなるような記述があったのだそうです。というのも、藤村は「私の中の別人格がやった」などと精神障害を匂わせる供述をしていたというのです。そこまで言ってしまうのなら、もう全文公表してしまって良いじゃないかと思うのですが。

毎日新聞取材班『古代史捏造』。これは『発掘捏造』の続編に当たり、捏造発覚から第二のスクープに至るまでの経緯を記したドキュメント。捏造発覚時には2遺跡の捏造に過ぎないと思われていたものが、徐々に広がりを見せ教科書までもが書き換えられていく様を迫力ある筆致で綴る。

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