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30年日本史00033【旧石器】遺跡自体の捏造

 平成13(2001)年12月。捏造事件の調査が続く中、渦中の藤村はなんと、自らの右手人差し指と中指を切断しました。この時期に精神疾患を患っていたのは事実なのでしょう。「ゴッドハンドと呼ばれたこの手が悪い」と思いたかったのかもしれません。
 平成14(2002)年5月。日本考古学協会は、
「少なくとも30遺跡については、遺跡自体が捏造である」
との調査結果を発表しました。「遺跡自体が捏造」とは、つまりその遺跡から発掘された出土品全部が捏造だというわけです。その場所はそもそも遺跡ではなかったということでしょう。
 その30遺跡の中には、上高森と馬場壇Aが含まれていましたが、高森と座散乱木は含まれていませんでした。日本考古学協会が言うには、
「特に座散乱木は国の指定史跡という重要性にかんがみて、さらに調査をしないと結論は出せない」
とのことでした。
 同年6月。高森遺跡と座散乱木遺跡の再発掘調査の結果が出ました。残念ながら旧石器時代の地層からは何も出土しなかったことが報告され、「遺跡自体が捏造」と結論付けられました。座散乱木遺跡については、その後速やかに国指定が解除されました。
 現在、藤村の発見は昭和49(1974)年以降全て捏造で、200遺跡以上に及ぶと考えられています。つまり、藤村が考古学の世界に足を踏み入れた最初から、全てが捏造だったのです。藤村は一度として真に旧石器時代の地層から旧石器を発見したことなどなかったのです。
 「プレッシャーに負けた」などという言い訳は完全な嘘ということにあります。一体彼は何のために考古学の世界に入って来たのでしょうか。
 旧石器時代研究は、藤村によって30年遅れたことになります。
 この事件は、現在のところ共犯がいたという証拠が上がらず、藤村の単独犯という結論に落ち着いています。しかし、その結論を疑う声もあります。
 まず疑うべきは、東北旧石器文化研究所の鎌田俊昭と梶原洋でしょう。発掘が始まる前から、作業終了予定日の翌日に記者発表をセットするという東北旧石器文化研究所の姿勢は実に奇妙です。まるで石器の発見を予期しているかのようです。
 しかし彼ら3名だけでなく、もっと組織的な犯行を疑う説もあるのです。

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