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30年日本史00037【縄文】縄文時代概観*

 今回から縄文時代に入ります。まずは縄文時代とはどういう時代なのか、概観しておきましょう。
 縄文時代の始まりは、高校教科書によると1万3千年前、最近の研究者によると1万6千年前です。(高校教科書は最新の研究成果を反映させるのに時間がかかるようです。)この頃、氷河期が終了し、気候が温暖化しました。これによる様々な影響が地球上に現れてきます。
 まず、それまで針葉樹林に覆われていた日本列島は、広葉樹林に覆われることとなりました。これにより、植物性食料が豊富になってきました。
 そうなると必要になって来るのは煮沸調理です。そのニーズにより、縄文時代の人々は火をコントロールできるようになりました。そうなると土をこねて焼いて土器を作るようになります。その土器を使って鍋料理を楽しんだそうです。
 こんなふうに、気候温暖化による影響が次々と新たな因果を生み、土器という縄文時代最大の発明が生まれたわけですね。ちなみに、1万3千年前の時点で土器を作っていたのは日本だけだという説もあります。
 食料が豊富になることで、定住も可能になりました。竪穴式住居の登場です。私が小学生の頃は「定住が始まったのは弥生時代から」と教えられていましたが、近年の研究では縄文時代から人類は長期間定住していたことが分かってきました。
 さて、氷河期が終わったことにより、ナウマン象、オオツノジカが絶滅しました。日本列島の動物は、ニホンシカとイノシシが中心となりました。ニホンシカとイノシシはナウマン象やオオツノジカより小さいので、狩猟に当たって命の危険は減ったかもしれませんが、動きの速い小型動物ですから、捕獲するのが大変です。そのニーズから、弓矢が登場しました。旧石器時代には槍しか使っていなかったわけですが、縄文時代には照準をしぼって獲物を狙うことのできる弓矢を使うことになったわけですね。
 さらに氷河期が終わって水位が上がり、日本列島は大陸と完全に切り離されることとなりました。縄文時代中は、海外との交流が一切なかったのです。
 司馬遼太郎は、講演で次のように述べています。
「稲を持ったボートピープルがやってくるまで、闇の中にいました。……他の文化からの影響を受けずにいると、人類はいつまでも進歩しないということを雄弁に物語っています」
 確かに、中国では紀元前6000年までには農耕が始まっているのに、日本で農耕が始まったのは紀元前1000年頃でした。(紀元前300年頃と習った人が多いと思いますが、その後の研究で紀元前1000年頃と判明しました。)これをもって「縄文時代は進歩のない暗黒時代だった」などと言うと、縄文研究者は激怒するでしょう。
 司馬の言うように、縄文文化に見るべきものはないのしょうか。
 それをこれから確かめていきたいと思います。

縄文時代最大の遺跡である三内丸山遺跡(青森市)の復元構造物。大規模な柱穴が発掘され、右側にあるような六本柱の何らかの構造物があったと推測されている。

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