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30年日本史00025【旧石器】総進不動坂遺跡と小鹿坂遺跡

 平成12(2000)年9月5日。藤村が北海道総進不動坂遺跡で発掘をするとの情報を得て、取材班は張り込みを始めました。埋めるとしても、一切明かりのない状況で夜中にやるとは思えません。おそらく人のいない早朝にやるだろうと見て、夜明け前から張り込んだのです。
 午前6時。藤村がやって来ました。移植ゴテで地面を掘っているように見受けられたものの、距離が遠く手元までは見えません。おそらく石器を埋めているのだろう、とは推測できても、証拠とはなり得ない写真しか撮れませんでした。その上、カメラの操作ミスにより、動画は一切撮れておらず、静止画しか撮れなかったのです。
 取材班はひどく落胆しました。山田キャップは
「報道部長は長期戦を想定していない。別の取材もあるし、今ある材料でやるしかない」
と、報道開始を提言しますが、高橋・山本両記者は
「次は絶対撮れますから、もう少しやらせてください」
と抵抗します。渡辺デスクは真田報道部長に掛け合い、
「さらに取材を継続し、より良い画が撮れるまで発表を見合わせてほしい」
と主張しました。渡辺の熱意に押された真田が、
「わかった。あんたが思うようにやって」
と言ってくれたおかげで、取材班は張り込みを継続できることになりました。
 渡辺デスクは山田キャップらに、
「いいか。本丸は上高森だ。本丸を落とさなきゃダメだ」
と指示を出しました。総進不動坂での捏造を撮りそこなったからには、もっと有名な遺跡での捏造を撮影しなければなりません。日本最古の遺跡であり、教科書にも載っている上高森遺跡は、まさにうってつけでした。
 次に藤村が発掘するのは埼玉県小鹿坂遺跡でした。取材班は、10月1日から6日にかけて小鹿坂で張り込みを実施したのですが、捏造の瞬間は全く撮れませんでした。藤村が現地で石器を埋めるところを確認できなかったのです。しかし翌日、報道陣が見守る中で藤村は見事石器を発見しました。
「埋めた様子はなかったのに、なぜ発見できたんだ」
 取材班は驚きました。おそらく、張り込んでいなかった時刻に埋められたのでしょう。
 もはや残されたチャンスは、10月21日から26日にかけて行われる宮城県上高森遺跡の発掘だけです。そこで証拠をつかめなければ、今回のネタは諦めるほかありません。
 取材班は上高森遺跡を下見しました。ススキが生い茂り、姿を隠せる分、張り込みがしやすい地形でした。
 発掘1日目の10月20日。高橋ら4名は午前5時から遺跡周辺の張り込みを開始しました。藤村はやって来ませんでした。翌21日。この日も収穫なし。
 22日。発掘3日目になって、遂に藤村が現場に現れます。

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