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30年日本史00811【建武期】建武期概観

 鎌倉時代が終わったので、次は「室町時代」、又は室町初期を意味する「南北朝時代」と言いたいところですが、次章のタイトルを室町時代・南北朝時代のいずれにしても、すっぽり空いてしまう時期が出てしまいます。というのも、
・鎌倉時代の終期:元弘3(1333)年5月22日
・室町時代の始期:延元元/建武3(1336)年11月7日(諸説あるが代表的なもの)
・南北朝時代の始期:延元元/建武3(1336)年12月21日
となっており、元弘3(1333)年5月から延元元/建武3(1336)年の暮れまでは、何らの時代区分の名称がないのです。元号をとって「建武時代」なり「建武期」とでも呼ぶほかありません。ここからは「建武期」というタイトルで進めることにしましょう。
 建武期はたった3年半の短い期間ですが、語るべきことはあまりに多いです。鎌倉幕府という共通の敵を倒した人たちが、徐々に2派に分裂してやがて戦闘となり、北朝(持明院統)と南朝(大覚寺統)に分かれてしまう経緯、そして当初は南朝方が有利に戦闘を進めていたのに、足利尊氏の天才的な戦略の前に圧倒的不利な状況に追い詰められていく経緯を描くこととなります。鎌倉末期ではまだ十分にキャラの立っていなかった足利尊氏や新田義貞が、この頃になると生き生きと動き始めます。
 また、ここで目立ってくるのが後醍醐天皇の悪辣さです。自らの皇位を継続するためには、新田義貞を売り、自らの子をも騙すその姿勢には戦慄を覚えます。
 ここで、後醍醐天皇を支える南朝方の主要人物をまとめておきましょう。
 まずは「三木一草(さんもくいっそう)」という言葉を覚えてください。これは、
・楠木正成のくすの「き」
・結城親光のゆう「き」
・伯耆守(ほうきのかみ)を務める名和伯耆守長年のほう「き」
という3つの「木」と、
・千種忠顕のち「くさ」
をまとめた言葉で、後醍醐天皇が最も信頼する家臣4名を指します。
 これに
・総大将の新田義貞
・奥州に派遣された北畠顕家
を加えれば南朝オールスターズといえる顔ぶれになります。
 一方、この南朝と戦うのが足利尊氏・直義兄弟、佐々木道誉、赤松円心といった顔ぶれです。いずれも鎌倉幕府を倒すために活躍した人たちですね。彼らは後醍醐天皇とは別に天皇を立てて、北朝と称されることになります。

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