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30年日本史00030【旧石器】世紀の大スクープ

 平成12(2000)年11月5日。毎日新聞は一面トップで「旧石器発掘捏造」という見出しを掲げ、詳細を報道しました。
 同日、山本記者は芹沢長介を訪ね、インタビューを行いました。芹沢は記者を招き入れ、
「そういえば上高森の石器は両面加工され、縄文時代のものによく似ていた」
とコメントしました。もしかすると、芹沢は薄々気づいていたのではないでしょうか。
 同日10時から、東北旧石器文化研究所による記者会見が宮城県庁記者クラブにて始まりました。出席したのは、鎌田理事長と梶原教授と藤村です。会見の冒頭、藤村は
「総進不動坂遺跡と上高森遺跡で石器埋納遺構を捏造しました。すみませんでした」
と頭を下げました。動機について尋ねられると
「すごいものを発見したかった。魔がさした」
との説明を繰り返しました。
「今回捏造が発覚した以外の遺跡について捏造はないのか」
との質問に対しては、3人とも「ない」と繰り返しました。
 さて、捏造発覚の影響はあまりに大きなものでした。高校日本史の教科書を出版する5社は、上高森遺跡に関する記述を削除したい旨を文部省に申請し、認められました。それまでの教科書には
「上高森遺跡では、旧石器時代前期にあたる約60万年前の地層の中から石器が発見されている」
といった記述があったのですが、平成13(2001)年度以降の教科書からはこれが削除されました。
 東京国立博物館と国立歴史民俗博物館を始めとする各博物館では、藤村が関与した石器の展示を取りやめました。
 11月12日。日本考古学協会は緊急委員会を開き、全会一致で藤村を退会処分とし、鎌田からの委員辞職願いを受理しました。さらに藤村が関与した遺跡を検証するための特別委員会を設置することを決めました。
 こうした騒動のさなか、藤村は精神疾患を発症し、入院しました。入院により、どの石器が捏造だったのかを藤村自身から聞き出すことが困難になってしまったのです。
 さて、藤村の自供によると捏造は2箇所だけということなのですが、それを鵜呑みにして良いのでしょうか。一体どこまで遡って検証すればいいのか。その検証の範囲について、誰もが頭を抱え込んでいました。
 その問題に答えを出したのが、12月23~24日にかけて福島県で開催された疑惑検証シンポジウムでした。このシンポジウムでは、藤村が関与した遺跡から出土した石器1700点が展示されたのです。

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