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どうする家康 第35回「欲望の怪物」

戦のない世を作ろうとする家康に対して、欲望の怪物である秀吉は対外侵略を進めようとする・・・という回でしたね。振り返っていきましょう。

大政所、岡崎へ

妹を事実上の人質として岡崎城に送り込んだ秀吉でしたが、それでもなお家康は上洛しようとしません。
しびれを切らした秀吉は、さらに母・大政所をも岡崎に送り込みます

これを見た家康も、遂に重い腰を上げ、大坂城へ赴くこととなりました。

ちなみに岡崎城での大政所について、(多分後世の創作ですが)こんな伝説があります。
大政所が旭と談笑していると、家の周囲に藁が積み上げられていきます。
大坂で家康の身に何かが起きたら、すぐに火をつけて2人を焼き殺せるように、というのです。大政所と旭は震えあがりました。
これは、本多作左衛門重次の指示によるものでした。
今回の大河では、本多作左衛門は登場していないので、代わりに井伊直政の指示というストーリーになっていましたね。

ちなみに徳川家臣には、有力な「本多〇〇」が3人いました。同族ですが、かなり遠い親戚で、ほぼ他人といって良いくらいの関係です。

1 本多平八郎忠勝(山田裕貴)
説明不要ですよね。数々の合戦に参加していながら、かすり傷一つ負わなかったという伝説があります。

2 本多佐渡守正信(松山ケンイチ)
戦にはほとんど行かず、むしろ内政で活躍しました。家臣団の中では嫌われ者だったようです。

3 本多作左衛門重次(大河に登場せず)
なかなかの無骨者です。長篠の戦いのときに妻に宛てた手紙が「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」というもので、日本一短い手紙として知られています。

秀吉が家康をお忍びで訪ねてくる

さて、家康が大坂城で秀吉に謁見する前日のことです。
京に宿泊していた家康のもとに、なんと秀吉がこっそりお忍びで訪ねてきました
このエピソードはさすがに後世の創作だろうと思うのですが、どうなんでしょう。江戸幕府の公式歴史書『徳川実紀』に載っているので、ここからたくさんの史書に引用されていったのかなあと思うのですが。

ここで秀吉は家康に、
「明日は臣下の礼をとってくれ」
と依頼します。

家康が大坂にやって来るということは、当然、秀吉の家臣になるつもり・・・のはずです。
しかし、秀吉側が妹と母親を人質に出してまで呼び寄せたわけですから、家康が本当に家臣になる旨を表明してくれるのか、秀吉としては不安だったのでしょう。

ともあれ、前日の打合せ通りに、大坂城での謁見では家康が臣下の礼を取り、「もう殿下に陣羽織を着せることはさせません」と述べ、無事に秀吉の家臣となりました。

ドラマ上では、用意された脚本通りに話し、秀吉が舞台を広く使いながらわざとらしい芝居をやる場面がありましたね笑。

この時点で秀吉に従っていない有力大名は?

この時点で、全国のほとんどの大名が秀吉の家臣となっていました。
未だに従わないのは、
・島津義久(九州全土を治める)
・北条氏政(関東全域を治める)
・伊達政宗(もう間もなく東北全域を治める)
の3名でしょうか。
まあ、この4年後には全員が秀吉に屈することになるのですが。

石田三成初登場

そして遂に、石田三成が初登場しましたね。
松本潤と中村七之助は高校時代の友人だそうで、この2人が関ヶ原の東軍・西軍の中心人物を演じるとは、なかなか運命的なキャスティングですねえ。

石田三成は豊臣家臣団の中での「変わり者」と紹介されていましたが、確かに変わり者でした。
とにかく合理主義の権化で、かつ自信家。
今回も「切れ者」と言われて一切否定したり謙遜したりしませんでしたね。
徳川家臣団における本多正信と同じで、
「戦をしない合理主義者」
であるがゆえに、他の家臣から嫌われてしまうんですね。

お稲こと小松姫初登場

不遜な真田昌幸が徳川家臣団を翻弄していましたね。
北条家を取り込むためには、沼田城(群馬県沼田市)を北条に譲り渡すほかない。しかし、沼田城の所有者である真田昌幸がそれを承知しない。
そこで、真田昌幸の長男・信幸に、徳川家の姫を嫁がせることとなりました。

白羽の矢が当たったのが、本多平八郎忠勝の娘・お稲です。
お稲は後に「小松姫」と呼ばれ、沼田城を守り抜いた人物として知られています。その名場面はどこかできっと見れるはずです。お楽しみに。

秀吉は「戦のない世」を作らない

家康は「戦のない世を作る」という瀬名の夢を引き継いだのですが、秀吉にはそんな発想はまるでないようですね。
この後、秀吉は天下を統一した後もなお戦を続けるんですよね・・・。そこが家康と最も異なる点です。

次回予告を見ても、次回がどんな話なのか分からなかったですねえ。次回がすごく気になります。

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