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30年日本史00035【旧石器】3万年前の航海*

 旧石器時代についてはここで稿を終える予定でしたが、付け加えるべき事項があります。
 近年、沖縄県の旧石器時代の遺跡を研究した結果、3万年前から人類の遺跡が出始めていることが分かってきました。ということは、3万年前に人類が渡来した可能性があるということです。(もっと前から渡来していた、とするのがかつての多数説だったのですが、捏造発覚以来、日本列島への人類渡来時期については様々な説が乱立しており、よく分かっていません。)
 しかし3万年前には、既に大陸と日本列島の間は切り離されていました。となると、最初の日本人は台湾から航海によってやって来たのではないかとも考えられます。従来は「大陸と地続きだったから日本列島に人が住み始めることができた」とされて来ましたが、なんと大陸から切り離されてから日本列島に人類が渡来してきたというのです。
 当時、大陸と台湾は地続きだったものの、台湾と与那国島は100kmほど離れており、さらに与那国島から西表島まで70km離れています。これらの海を、旧石器時代の人々はどうやって渡ったのでしょうか。
 最も考えやすいのは丸木舟ですが、木をくり抜いて舟を作るには石斧が必要です。沖縄ではこの時代の遺跡から石斧が出土していないので、丸木舟の製造は困難です。
 次に考えられるのは筏(いかだ)ですが、筏で長距離航海は不可能です。
 というわけで、草を束ねて作った草舟が有力視されています。台湾に叢生しているヒメガマという草が原料になりますし、その草を貝を使って刈ることができます。刈った草を植物の蔓で束ね、10人程度が乗れる草舟を作ることができるようです。
 東京大学大学院理学系研究科の井原泰雄(いはらやすお)氏によると、少なくとも10人の若い男女が同時に海を渡らなければ、新たな島で人口が順調に増加することはないそうです。ということは、台湾から沖縄への航海は、たまたま流れ着いたのではなく計画的な移住だったということになります。
 しかし、100kmも離れた島への計画的な移住などということが、果たして可能なのでしょうか。
 平成28年。国立科学博物館の海部陽介(かいふようすけ:1969~)氏が音頭を取り、与那国島から西表島までを草舟で漕いで渡る実験が行われました。黒潮によって舟は北へ北へと流され、結局、人力だけで西表島まで航海することはできませんでした。
 しかし海部氏は諦めず、令和元(2019)年には台湾から与那国島への航海実験を行い、これを成功させました。まだ、3万年前にこのような航海が行われたとの証拠が出たわけではありませんが、日本人のルーツが3万年前のボートピープルであった可能性が出てきたのです。
 今後、日本人のルーツが解き明かされる日は近いかもしれません。

海部陽介氏が行った実験に密着したドキュメンタリー映画。できるだけ当時の技術を用いて航海しようと試みている。一見の価値あり。

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