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30年日本史00894【建武期】金ヶ崎入城

 今庄浄慶との交渉が当初難航していたため、脇屋・新田方の兵たちは
「もはや金ヶ崎まで行き着くことはできないだろう」
と考え、次々と隊から抜け出してしまいました。当初は240騎いた軍勢が、今や16騎にまで減ってしまいます。
 窮地に陥った義助がたまたま出会った木こりに金ヶ崎城の様子を尋ねたところ、
「昨日の朝から、足利方の兵が2、3万騎で城を囲んでいるようだ」
との情報が得られました。これでは合流は難しそうです。
「どうしよう。金ヶ崎城に入るのを諦めて、越後へでも下ろうか。それともここで腹を切ろうか」
などと話し合っていたところ、新田四天王の一人である栗生顕友が、
「越後まで落ち延びるのは難しいでしょう。今夜は山の中で隠れて過ごし、夜明け前に奇襲のようにして大声で敵の中に入っていって、敵が騒いで退いている間に金ヶ崎城の中に入るのはどうでしょう。もし上手くいかなければ、思う存分戦って死ねばいいでしょう」
と提言し、皆がこの意見に賛成しました。
「では、敵から大勢に見えるように偽装しよう」
ということで、16人は鉢巻きと帯を解いて、それを竹の先に結びつけて旗のように見せかけて、それをあちこちの物陰に立てておくことで、大人数の軍であるかのように偽装しました。
 そして夜が明けたころ、16人は敵陣の後ろから駆け出て、
「2万騎でやって来たぞ。城中の皆々、出て我々とともに戦え」
と叫んで鬨の声を挙げました。これを聞いた足利方の3万騎は、
「何と、杣山城から大軍がやって来たぞ」
と恐れおののきました。
 金ヶ崎城の中にいた800名は、勢いを得て城外に飛び出し、足利方の大軍は慌てふためいて散り散りに逃げていきます。
 逃亡する足利方は、後退してくる味方を敵と勘違いして同士討ちをしたり、あるいは横切って逃げる味方を見て敵に囲まれたものと勘違いして腹を切ったりしました。そのまま足利方の3万騎の多くは自国まで逃げ戻り、先程まで金ヶ崎城を取り囲んでいた兵はほぼ解散してしまったのでした。
 たった16人で3万人を攪乱するとは、まるで漫画のようですね。太平記には数々の誇張がありますが、このエピソードはその最たるものでしょう。

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