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30年日本史00043【縄文】縄文時代総括

 縄文時代の章を終えるときが来ました。
 縄文研究をめぐるドラマは、旧石器研究に比べて学閥の対立や捏造事件といった劇的な展開がなく、旧石器時代に比べるとあっけなく感じたかもしれませんね。
 さて、縄文時代の人々の暮らしについて何も書かないまま、稿を閉じるわけにいきません。最後に多少は解説らしいことを書いておきたいと思います。
 縄文時代には、アニミズム(精霊崇拝)に基づく様々な習慣がありました。土偶製作、抜歯、屈葬などです。もっとも、屈葬については「宗教的な理由で死体を折り曲げたのではなく、掘る穴を小さく済ませて効率的にするためではないか」と実利的な理由を唱える学者もいるようですが。
 食料は、狩猟、漁労、採集によって確保しました。狩猟は前述のとおり、シカやイノシシがメインで、旧石器時代のナウマンゾウ、オオツノジカに比べてかなり狩りやすくなったと思われます。
 漁労はイワナ、ヤマメなどです。釣り針と丸木舟も出土していますので、舟で沖合に繰り出して様々な魚を採っていたのでしょう。一部ではサケ、マス、アワビ、サザエ、タイも食べていたらしく、その食生活の豊かさには驚かされます。
 採集はドングリ、クルミなどです。
 人骨の状況を見る限り、身分の差が多少あるものの顕著ではないこと、殺人が少ないことなども大きな特徴です。弥生時代以降は殺されたとみられる首のない人骨が多いのに対し、縄文時代は戦争が少なかったようです。
 入江貝塚(北海道洞爺湖町)で出土した人骨は、小児麻痺で四肢障害がありながら20歳頃まで生きたことが判明しています。おそらく家族が介護したのでしょうが、殺伐とした弥生時代に比べ、何と平和な良き時代だったことでしょう。
 特に縄文時代の人々の精神性の高さを表すものが、土偶と縄文土器でしょう。
 山内清男が縄文土器の形状を細かく分類し、時代ごとの特徴を論じたことは既に紹介しました。しかし、土偶と縄文土器を美術的観点から初めて論じ、評価したのは岡本太郎(おかもとたろう:1911~1996)です。
 岡本太郎は著書の中で縄文土器について、「この圧倒的な凄みは、日本人の祖先の誇った美意識だ」と書いています。確かに、土器を単に実用品として扱う分には、文様などかえって邪魔なはずです。当時の人々は、文様を芸術として楽しんでいたのでしょう。
 岡本太郎は、大阪万博の際に土偶をモデルに「太陽の塔」を製作しています。「縄文の美」が岡本太郎によって再発見されたことで、再び縄文研究が注目されるようになりました。
 進歩がなかったとされつつも、高い精神性を持って平和な社会を築いていた縄文時代を今こそ見つめ直すべきなのかもしれません。
 縄文時代はこれで終わりです。次は弥生時代に進みます。

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