【お悩み相談1】習い事を円滑に辞めるには?(長谷川さん)
お悩み相談に歴史エピソードでお答えする企画第一弾。
まずは長谷川さんからのお悩み相談にお答えしたい。
なるほどー。
先生との関係が出来上がってしまうと、ダラダラと続けてしまいがちですよね。そのせいでお金も時間も吸い取られてしまうと。
ここは、伊藤博文に登場いただきましょう。
伊藤博文は、16歳のときに松下村塾に入塾しました。
松下村塾といえば吉田松陰が開いた私塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋など数々の幕末志士や維新の元勲を送り出して来た伝説の塾です。
吉田松陰は伊藤をいたく気に入ったらしく、
「周旋の才あり」(政治の才能がある)
と評しています。
ところが。
この伊藤博文、実は松下村塾に通っていた時期は相当短いらしいのです。
別の塾生の手記には
「伊藤公なども・・・自家生活と、公私の務に服せざるべからざる事情のために、長くは在塾するを得ざりしなり」
(伊藤は家事や仕事が忙しかったため、長く在塾できなかった)
と書かれており、かなり早い段階で辞めているのが見てとれます。
辞めた理由は
「忙しかったから」
とのことですが、本当に松陰の講義に興味があったのなら、忙しくても通ったはずでしょう。
伊藤は誰を相手にしても、懐にすっと入っていって関係を築ける人物でした。とにかく敵を作らないタイプです。
そのために「軽佻浮薄」という辛口の人物評を受けることはありますが、同時代の人物で、伊藤を「嫌い」と評している人はなかなか見つかりません。
伊藤は、恐らく松下村塾に興味を失って通塾を辞めたのでしょうが、かといって、吉田松陰や他の塾生を敵に回すことはせず、あくまで
「家事や仕事が忙しいから」
という理由で、敵を作らず上手く辞めたのでした。
それからウン十年。
伊藤は政治家として名を挙げ、
「自分は松下村塾の出身」
と憚らず自認し、今や松下村塾の有名な塾生といえば、筆頭に伊藤の名が挙がるほどです。
ほとんど通っていないくせに。
「忙しくなってきたんです。残念ですけど・・・」
その一言で、人間関係は上手く継続しながら辞めることがきっとできます。
何なら、将来
「自分はあの塾に通っていたんだぞ」
と誇らしげに語ることすらできます。
辞めようと思ったなら、それが辞めどき。
人生の優先順位は、自分で決めてはいかがでしょう?
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