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30年日本史00019【旧石器】第3の岩宿、馬場壇A遺跡*

 さて、ここまでは「第二の岩宿」と呼ばれた座散乱木遺跡について紹介しました。次は、「第三の岩宿」と呼ばれた馬場壇(ばばだん)A遺跡(宮城県大崎市)を紹介しなければなりません。
 昭和59(1984)年4月。馬場壇A遺跡での調査が始まりました。座散乱木での大発見を受けて、この成果の正しさを検証するべく、次なる遺跡発掘が始まったわけです。発掘責任者は岡村道雄です。
 座散乱木と同様に、4万年以上前の地層から石器が出るかどうかが注目されていたのですが、予想を上回る成果が上がりました。岡村の仮説を裏付けるように、13~20万年前(11~13万年前とする説もある)の地層から石器が発見されたのです。発見者は、またしても藤村新一でした。
 馬場壇A遺跡では、その後もナウマン象を解体した跡や焚き火跡が出土し、原人の生活ぶりが明らかとなりました。
 この発見に疑問を抱く学者もいました。昭和61(1986)年。東京都教育庁の小田静夫(おだ・しずお:1942~)は、
「石器の完成品しか出土しないのは不自然。確かな証拠は未だ存在しない」
と発表しました。しかし、小田の批判に耳を傾ける者はいませんでした。座散乱木遺跡の発掘を受けて芹沢の述べた
「実際出たのだから信じるしかないだろう」
という言葉が、
「層位は型式に優先する」
として、長い間旧石器研究を支配してしまっていたためでしょう。
 芹沢の「層位は型式に優先する」とはどういう意味なのか。
 本来、考古学において型式の研究は欠かせないものです。石器が出土すれば、その形を分類して、どの形の石器がどの時代、どの地域に出土しているかを統計的に分析する必要があります。そういった分析をしっかり行っていれば、藤村の発見を
「この型式の石器は、この時代には見られないはずなのに、おかしいな」
といった具合に疑うことはできたはずなのです。
 それができなかったのは、
「実際この層位から出土しちゃったんだから、型式がどうだとしても事実として受け入れるしかないだろう」
という風潮のせいではないでしょうか。
 「層位は型式に優先する」とは、芹沢自身が直接語った表現ではありません。しかし、芹沢の主張がこうした風潮を作り出し、それが捏造事件の被害を拡大させてしまったのです。

岩宿博物館に展示されているナウマンゾウの骨。旧石器時代の人々がこれと戦っていたとは、想像するだに恐ろしい。馬場壇A遺跡は捏造だったが、岩宿でナウマンゾウと戦っていたのは間違いない。

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