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30年日本史00026【旧石器】撮影成功

 平成12(2000)年10月22日。午前5時半に取材班は配置につきました。高橋記者と山本記者は、互いに30メートルほど離れた場所に隠れてカメラを構えました。
 午前6時20分。白い軽トラがやって来て止まりました。バタンと車の扉が閉まる音で、一同は緊張に息を呑みました。藤村は調査区画に入るとしゃがみこみました。そのせいで、取材班からは頭しか見えず、手元が見えません。まもなく藤村は別の区画に移動し、またしゃがみこみました。しかしカメラのモニターにはまたもや肩までしか映らず、何をやっているかが分かりません。
「見えにくいけど、何か埋めてるよな」
と高橋記者はつぶやきました。しかし証拠をおさえることができません。
 藤村が再び歩き始めました。今度は山本記者の方をめがけて一直線に近づいてきます。
藤村は、山本記者が隠れている場所まで僅か15メートルまで近づきます。「さては気づかれたか」と山本記者が観念したとき、藤村はふとしゃがみこみ、移植ゴテで穴を掘り始めました。山本から完璧に視認できる場所でした。藤村は30秒間穴を掘った後、ポリ袋に入れた石器数点を穴に流し込みました。続いて、右手で一つ一つ石器をつまんで、配列を整えました。次に藤村は、掘り起こした土をかぶせて拳を押し付け、さらに中腰になり、左足のかかとで数回土を踏みしめました。さらにしゃがみこみ、移植ゴテで土の表面を丁寧に削りました。
 藤村が去っていくと、高橋が山本に駆け寄り、「どうだ」と声をかけました。山本はカメラを確認し「石器も映ってる」と喜びの声をあげました。これほど完璧なアングルで撮影できるとは、まさに奇跡でした。
 同日、藤村の手によってこの埋められた石器が「発掘」されました。しかし報道発表は27日でしたから、取材班がそれを知ったのは後のことでした。
 24日午後。この映像が札幌の毎日新聞北海道支社に届けられました。これを見た渡辺デスクは衝撃を受けました。「きれいに撮れた」との報告を受けていましたが、まさかこれほどとは思っていなかったのです。しかし渡辺は、これをすぐ報道するのではなく、藤村への直接取材を済ませてからにするべきと考えました。できれば藤村に捏造を認めさせてから報道したかったのです。
 27日になりました。この日が東北旧石器文化研究所による記者会見が予定されている日です。本来ならば26日に発掘作業は終了したはずなのですが、それでも念のため、取材班は早朝張り込みを行いました。
 午前6時55分。予想通り藤村はやって来ました。22日にやったのと同様に石器を埋めて去っていきました。取材班はこれも写真におさめることに成功しました。
 さて、13時から鎌田理事長による記者会見が始まりました。この記者会見のさなか、藤村の手によって、まさに劇的な発見が行われることになります。

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