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30年日本史00031【旧石器】未発掘の藤村石器

 疑惑検証シンポジウムでは、国立歴史民俗博物館考古研究部長の春成秀爾(はるなりしゅうじ:1942~)が重要な発表を行いました。
 春成は、捏造石器の見分け方として、
・「ガジリ」と呼ばれる新しい傷
・表面に異なった風化度を持つ二重風化
・黒土の付着痕跡
があるものについては、縄文時代以降の石器と考えられるとの見解を発表したのです。そして、このシンポジウムで展示された藤村関与の旧石器1700点は、ほぼ例外なく春成氏の指摘する特徴を備えていたのでした。
 研究者たちはあまりの結果に愕然としました。藤村が関与した遺跡は、かなり以前まで遡っての再検証が必要となるわけです。藤村が関与した遺跡は全国に200以上あり、気の遠くなるような作業です。
 平成13(2001)年6月。日本考古学協会に疑惑検証のための特別委員会が設置されました。委員長に選ばれたのは明治大学の戸沢充則でした。
 戸沢といえば、杉原荘介の一番弟子で、東北大学の芹沢長介と険悪な仲で知られています。東北大学から距離を置いていることで、冷静な検証が期待できると思われたのでしょうか。
 しかし戸沢は、明治大学出身の鎌田の師でもあるのです。藤村の共犯者かもしれないと疑われている鎌田の師が特別委員会委員長に就いたことに対しては、批判の声もありました。
 さて、遺跡の再調査が始まりました。
 平成13(2001)年4月。再調査の口火を切ったのは、福島県一斗内松葉山遺跡でした。再発掘のさなか、約70万年前とみられる地層から石器が2点発見され、どよめきが起こりましたが、これはぬか喜びに過ぎませんでした。というのも、石器の周囲に黒土があったこと、移植ゴテで付けたとみられる浅い凹みが検出されたことなどから、この2点は藤村が埋めたものと結論付けられたのです。
 これが厄介なところです。つまり、藤村が埋めておいてまだ掘り出していない石器が多数あるのです。全国の旧石器遺跡は、まさに地雷を埋め込まれたようなものです。
 同年7月。山形県袖原3遺跡での再発掘調査でも、同様に3点の石器が見つかりましたが、掘り跡も見つかったため、これも藤村の埋めたものと断定されました。
 さて、各遺跡で再調査が行われる中、日本考古学協会特別委員会は、別の方法で検証を進めていました。戸沢委員長は、かつての教え子である鎌田の紹介により、入院中の藤村に接触することに成功したのです。
 この藤村への聞き取りによって、捏造事件は新たな段階に進むことになります。

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