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【創作小説】魂の在処 ⑪

☆☆主人公・葵とその義兄・薫の、前世を交えての兄弟愛のお話です。はじめから読みたいという方は、こちらからどうぞ☆


四幕

              

「――い?」
 視界に、細い指をした手がちらちらと揺れる。顔の前で組んでいた両手を解き、肘をついたまま顔を上げた。終業の合図をつげるチャイムが鳴り響いている。目の前には、制服姿の七海。両手を腰にあてたまま、訝しげな顔つきで葵を見下ろしていた。
「……器用だよね、葵。目、開いたまま寝てたの?」
 言われて、黒板の上にある丸い時計に目をやった。十一時五十分すぎ。いつの間に四時間目の数学は終了したのか。そういや、チャイム鳴ってたっけ。
 頭を軽く掻いた。
「考え事してただけだ。寝てねぇし。それに……おまえじゃないんだ。そんな器用なマネ、できるかよ」
 わたしだって出来ないわよ。声を荒げて七海は吼えた。
「ね、今日、薫ちゃんの全快祝いする日だったよね?」
 全快祝い。そんな話を七海から提案されたのは、三日ほどまえのことだ。  

 薫には内緒で駅前ビルにあるダイニングカフェに予約をいれた。念のため、家をでるとき薫に帰宅時間を確認したが、今日は家庭教師の予定もないし、早く帰れるとそう言っていた。
「家庭……教師」ほとんど独り言に近い呟きだった。
「なに、薫ちゃん、今日は例の子の家庭教師の日だったの? えー? ちゃんと確認しておいてって」
「いや、違う。今日は平気」
 葵は、わざとなんでもない顔で笑みを作った。

 早乙女纏さおとめまといと連絡がとれない。薫がそう告げたのは、二人がM市に戻ってきてから丸一日たった夜のことだった。
 あの日以来、早乙女纏のことがずっと気にかかっていた。
 怪我をしたのは薫だが、彼女が狙ったのはオレだ。恨みがあるのなら、オレに対して、なのだろう。だけど、理由が思いつかない。そもそも、オレが早乙女さんと接したのは、事故のあったあの日と、ロビーでばったり出会ったあの日くらいなのだ。恨みをかうような何かを自分がしたとも考えがたい。
 『今生でも、うちの邪魔をするんか』
 あのときの、纏の形相が瞼に蘇る。あれは、どういう意味だったのだろう。
「……なに、なんか気になることでもあるの?」
 七海の顔に憂いが浮かぶ。
「いや――」
 はっきりとしないことで、余計な心配をかけたくなかった。
「頭の中でちょっと確認しただけだよ。それより、何時からの予約だっけ?」
「七時から九時までの二時間。お祝い用ケーキも用意してもらったから」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
 そうそう。七海は楽しそうに首を振る。
「前に友達の誕生日祝いしたときに、そういうサービスがあるって教えてもらったんだ。一人用のちっちゃくてかわいいケーキなんだけどね」
 この際、大きさはどうでもいい。特別だと知らせてくれるなにかがあるなら、それでいい。
「わたしと葵の心遣いに、薫ちゃん絶対に泣くよ。ふふん、今日こそ薫ちゃんを、ぎゃふんと言わせてやるんだ」
「……確認するが、これは全快祝いだよな?」
「そうだよ、だっていつも涼しい顔してさ。なにしても、『よしよし、よくできました』みたいな雰囲気なんだもん。むかつく。だから今日は、『おまえたち、ありがとう』なんて涙のひとつも搾り出してやる」
 本当にこれ、全快祝いなのか。挑戦状かなにかじゃないのか。葵は、声高らかに宣言する七海を見て、苦笑いした。
 
               ◆

 さすがに制服では行きにくいので、白のパーカーと黒いスキニーパンツに着替えて薫の帰宅を待つ。ほどなくして、薫は仕事から戻った。七海の提案で三人で食事に行こうと連れ出し、待ち合わせの駅前噴水広場まで向かった。
 七海は、深い緑のハイネックの上にパーカーのついた白いチュニックワンピースを着て、噴水の前に立っていた。腕にはブルーのトートバック。二人の姿を見つけ、大きく手を振る。
 予約していた店は、駅前ビルの一角にあるダイニングカフェで、和洋折衷な料理が提供されている場所だった。店内は、木造で統一された古きよき時代をイメージする造りになっており、心地よいジャズが流れている。店内奥にあるカウンター席の正面には、白髪頭で貫禄のある男がせわしなく動いていた。壁には、古い写真や古風な車の写真、設計図のようなものから絵まで。さまざまなものが無造作に貼り付けられている。照明は絞られており、すこし暗く淡い光が、懐かしさを感じるノスタルジックな雰囲気を作りだしていた。
 三人は、店内一番奥にある予約席へと案内され、コの字型になったテーブルを囲むように腰を下ろした。
「へぇ、なかなか雰囲気のいい店じゃないか。七海がこんな場所を知ってたとは驚きだ。彼氏にでも連れてきてもらったのか?」
 グレーのスーツジャケットを脱ぎながら、薫はほくそ笑む。七海は無言のまま、薫の二の腕をきつく叩く。
「この男、まじでむかつく」吐き捨てるように呟く。
「今日はあまり、七海を怒らせないほうがいいと思うけど」
「は? なんで」
「いや、これ企画したの、七海だからさ」
「企画?」
 邪なことでも思いついたような顔で、薫は片眉をしかめた。
 そのとき。直径九センチほどの小さなホールケーキを持った店員が、テーブルのそばにやってきた。イチゴがデコレートされたホワイトクリームのケーキだ。七海が掌で薫の前を指す。店員が、ケーキをそっとテーブルに置いた。
 手元に置かれたそれを見て、薫は目を瞬かせた。ケーキには、『全快祝いおめでとう』とチョコで書かれたクッキーが中央に乗せられていた。それをみて、ようやく納得した顔つきで、目を丸くする。
「なに、これ。え、どういうこと?」
「そのまんまだよ。ほら、葵」
 七海は葵の二の腕を手で突いた。葵は、んん、と軽く咳払いする。
「えっと……このたびは、全快おめでとう……ございます」
「え、なに、俺……に?」
 ほかに、誰がいるんだよ。気恥ずかしいまま、薫を上目遣いに軽く睨んだ。
「全快祝い。七海がやろうって、企画してくれたんだ」
 薫は眼前のケーキをまじまじと見下ろしながら、しばらくの間、放心していた。やがて、切れ長の瞳をおもいっきり細くして、泣き笑いのような笑顔を見せた。
「ありがとう」
 染み入るような声で、そう告げた。
 しばらくすると、コース料理が運ばれてきた。三人は、軽く雑談しながら料理を堪能した。


 店内の淡い照明と、心地よいジャズの音。楽しそうに歓談する薫と七海。ずっとずっと昔から、自分のそばに当たり前のようにあった時間と光景が、いまそこにある。
 薫とのこと。早乙女さんのこと。問題は山積みのようにある。なにも、解決していない。だけどいまは。いまだけは。心地よい空間に身をまかせていたい。胸が膨れるような淡い心地よさを感じて瞳を閉じる。
 七海がいるから、なのかもしれない。だけど、こんなふうに薫と一緒にいて、心地よいと思える時間が、なんだかとても。

 料理をたいらげ、食後のコーヒーを飲んでいたとき、薫が突然、眉根を寄せた。見ると、鞄の中でマナーモードにしていた電話が音を立てて震えている。
「なんだよ、こんなときに……もう」
 小言を呟きながら、薫は液晶画面に表示された相手の名を見た。
 その顔色が、一変した。
「すまん、ちょい電話」静かにそう言うと、立ち上がり、レストルームのほうへと歩いてゆく。
 いやな予感がした。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」店員が声をかけてきた。
「あ、わたしください」七海は底に少し残っていたコーヒーを飲み干し、カップを店員に差し出す。レストルームのほうを見ながら、七海が陽気に尋ねた。
「なにあれ、聞かれたくない電話? あ、もしかしてデートの約束とかかな。あ、例の家庭教師の子なのかな」
 葵の手から、コーヒーカップが滑り落ちた。あっと言う間に、コーヒーはテーブルに広がってゆく。
「なにしてるのよ! 大丈夫? やけどしてない?」
 その声に、我に返ったように葵は顔をあげた。幸い、服にまで被害は及んではいなかった。
「ごめん、しくじった。大丈夫、冷めてたから平気」
 慌てて飛んできた店員が、ダスターを差し出す。受け取り、急いでテーブルの上を拭いた。
「どうした? 大丈夫か?」
 いつのまにか、電話を終えた薫がテーブルのそばに立っていた。
「ああ、平気」かろうじてそう答える。電話、誰だったの? 聞いても、平気だろうか。躊躇していると、七海が楽しそうに尋ねた。
「ねね、誰? もしかして、デートのお誘いとか?」
「いや――」
 一瞬、重い空気が流れた。
「二人とも……せっかく企画してくれたのにすまない。ちょっと、急な用事が入った。いまから少し出てくる」
「ええ? いまから?」七海が不満そうに吼えた。
「今からじゃなきゃだめなの?」
「ああ……ちょっと、急ぎの用事でな。ほんと、すまん」
 薫は、スーツジャケットを座席から取り上げ、羽織った。内ポケットに携帯電話をしまうと、再び「すまない」と言って、店を飛び出していった。出て行くまでの間、一度も葵と目をあわさなかった。
 葵は、壁掛け時計を見る。時刻は午後八時半になろうとしていた。

            ※

 店を出ると、薫は再びスマートフォンを取り出した。マップを呼び出し、相手が指定してきたS神社の場所を確認する。国道沿いにある小さな神社のようだ。自宅へいったん戻り、カッターシャツの上からデッキジャケットを羽織る。
 ――かんにんえ。
 電話の向こうから聞こえてきた吐息のような細い声が、脳裏に蘇る。
 あの日、瞬間的に目にした纏の異形の手。「彼」が知ってる「まとい」は、普通の女だった。得体のしれない恐怖が心の奥でうごめく。それでも今は、葵にとって畏怖となる存在である彼女と話がしたかった。もし、怪我をしていたのが俺ではなく葵だったら。そう考えてると、身が縮む。
 薫は『テラくん』にまたがり、アクセルを強くふかせた。

 沿道沿いにバイクを停め、道と敷地を遮るように建てられた白い鳥居をくぐると、すぐそこに切り妻屋根の古い社殿がある。神社というよりも、祠といったほうがしっくりくる小さなものだ。賽銭箱の真上から伸びた紫色の鈴緒が、夜風にはらはらと揺れていた。
 敷地内には背の高い樹木が何本もある。風に揺れる葉音が、物の怪の囁きに思えた。街頭は社殿の近くに一本きり。あたりは仄暗く、不気味な空気が漂っている。日の光がない境内は、昼間の厳かな雰囲気とは一点して得体の知れないものの住処に思えた。
 薫は、そう広くない敷地を見回す。目的の人物を目で探した。
 ふいに、左手側にある大きな杉の向こうから、土を踏みしめる音が聞こえた。
「――早乙女さん?」
 そう問いかけながら、薫は慎重に杉の向こう側へと歩く。砂利を踏みしめる音が、キシキシと耳につく。暗くて視界はひどく悪い。
「早乙女さん? そこに、いるのか?」
 ちょうど杉の真後ろに回ったとき、白い和服姿の細く華奢な背中が目に入った。背を丸めたまま、屈んでなにかをしている。真っ赤な帯が、飛び散る血痕のように見え、ごくりと喉が鳴った。頭の高い位置でまとめられた銀色の髪が目につく。
 その背中に、既視感を覚える。

――貝合わせの遊びが好きな女性だった。こんな風にかがんでは、貝に描かれた美しい絵柄をみて、はんなりしていた。


 意識の中に突然流れてきた「」に、薫は軽く頭を振る。そして、再び纏の背に視線を向けた。
 丸められていた背中が、ゆっくりと身を起こす。銀色の頭がゆっくりと振り返った。
「ああ、すんまへん。ちょっと貧血で、頭がふらついてたんで……つい」
 予想外の返答に、数瞬、戸惑った。
「え、大丈夫なのか? 立てる――」言いかけて、青ざめた。覗き込んだ纏の口元には、真っ赤な液体が付着していた。唇から糸を引き、顎へ伝い落ちるなにか。
 その背後に横たわる黒い影に、全身が凍りつく。それは、どうみても人だった。うつぶせに倒れる死体のようにしか見えなかった。
 纏の下駄を履く足が砂利を踏みしめる。ゆらりと立ち上がった。白い着物の胸元には、転々と赤い染みが飛んでいる。
「あんた――」
 やっとの思いで、薫はそう言葉を吐いた。息が乱れた。
 街頭のぼんやりとした明かりが、纏の白い顔を照らす。その口元は、綺麗な三日月を描いている。
 ああ。心の中で「彼」が囁く。赤い紅がひかれた口元は、いつもこんな風に綺麗な三日月を描いていた。しかしその目は、いつも笑ってはいなかった。なにかを憂う、沈んだ眼差しをしていた。
 薫の表情に深い懸念が沸くのを、纏は冷めた目で見つめた。
「このまえは、えげつない怪我させてしもうて、かんにんえ」
「……いや、もう大丈夫だ。そんなことよりも、あんたは」
 纏はさらりと背を向けた。薫の言葉を拒絶するように、小さく息を吐き捨てる。
「薫はんもご存知かと思うんやけど、体の中から血がなくなるっちゅうあの事件な、あれ――うちの仕業ですのん」 
 耳を疑った。
「七海を襲ったのも……あんただっていうのか? どうして七海を」
 薫は、声を張り上げた。
「そないに怖い顔せんで。別に、七海はんをわざと狙ったわけやないんです。たまたま彼女が通りかかったから……それだけなんどす」
「たまたま、だって?」
「こうせんと、うちは生きていけんのどす……朔夜さくやさま」
 その名を口にされて、一瞬ひるんだ。
「なんや――もっとびっくりするんかと思うたわ」
 少し残念そうに、纏は眉間に皺を寄せたまま笑った。
「ひとつ、訊いてもいいか」
 薫の問いかけに、纏は首を傾けた。
「なんでっしゃろ」
「あんたは、俺の過去生『朔夜』の許婚だった女の生まれ変わり……なのか? だが、俺の……いや、朔夜の記憶している纏は、ただの人だった。あんたは――今のあんたは、人ではないのか?」
「――違うんどす……そうやあらへん。生まれ変わりやないんどす。うち、は――」
 纏は言葉を無理やり押し戻した。轟々と、その心が荒れた。同調するかのごとく木の葉が風にざらざらと揺れる。
 四方からなにかが押し迫ってくるような圧迫感を感じて、薫は身震いした。
「……薫はん」
 纏は、着物の袖で口元を拭う。そして、泣き笑いに似た複雑な表情をみせた。
「……どうか、うちの願いを、かなえてくれへんやろか」
「願い?」
「残された時間……うちと一緒におってくれはらへんやろか」
 薫は訝しげな顔で、纏を見た。
「そしたら、葵くんには二度と手は出しまへん。約束します」
「葵を襲ったのは――いや、葵ではなく、神楽かぐらを――なのか?葵はなにも知らない。あいつを巻き込むのはやめてやってくれないか」
 憂いを帯びた瞳が、薫をまっすぐに見つめた。
「うちにはもう、あまり時間がないんどす。どうか、叶えてくれまへんやろか」
 色素の薄い瞳が赤く光りを帯びた。その細孔に吸い込まれるように、薫は目を大きく見開いた。
 ――朔夜さま、覚えとるでっしゃろ? あの日、あの子は朔夜さまを突き放したんどす。
 ――あの子は、男どす。もう、どないにもなりまへん。
 ――『かぐら』はもう、どこにもいないんどす。
 ――うちが、ずっと朔夜さまんそばに。
 薫の内に潜んでいた男の魂が、自我を押しのけ、悲嘆にくれた。


 ――どこにも、いない。もう、その想いを知ることはできない。

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