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【創作小説】魂の在処 ⑭

☆☆主人公・葵とその義兄・薫の、前世を交えての兄弟愛のお話です。はじめから読みたいという方は、こちらからどうぞ☆

☆次回、章が変わるので今回はすこし少な目です<(_ _)>

             ※

 稲野辺先生はたしか、あそこの茶屋で飲み物を買ってくると言っていたが――。
「遅いな、先生」
 桜を見上げる視線をおろし、稲野辺が歩いていった茶屋のほうへと葵は視線を飛ばした。
 もうかれこれ三十分くらいは待っているような気がする。気になる。やはり、様子を見にいったほうがいい。そう思い、茶屋の方角へ体を翻した。
 一陣の風に煽られて、桜の枝が大きく揺れた。吹き付けた風に、目がくらむ。思わず腕をかざした。


 ――おかえりなさい。
 そう、囁かれた気がした。振り返る。そこには、千年のときを経た桜の樹。さわさわと薄紅色の花が揺れた。金縛りにあったように、足が急き止められる。地中に伸びた根が、足に絡みつくようなおかしな感覚に、再び桜を仰ぎ見た。
 緩やかに動く幾重にも伸びたその枝。花びらの舞。音のない世界。まるで、自分以外の時間が止まってしまったような気がする。ゆるやかに瞼を閉じた。
 樹齢千年と呼ばれるその機の幹に、両手でそっと触れる。そして、額をぴったりとくっつけてみる。
 生きている命の鼓動。水のめぐる音。暖かい波動。さわさわさわ。さわさわさわ。桜が、囁く。

 ――憶えているよ。遠い昔の、あなたの姿を。
 桜の記憶が、心の中に流れ込む。湧き出る水のように、しみこんでくる。
 咲き乱れる薄紅色の花の下。長い黒髪の少女が舞っている。緋色の袴に真っ白な千早を羽織り、風に溶け込むように舞っている。
 少女が笑った。微笑みかけた。すぐ傍にいる真っ白な狩衣姿の背の高い褐色肌の青年に。 
 暖かい想いが、心に伝わってくる。二人は互いをとてもとても大切に、想っている。
 記憶の中に見る「想いの欠片」に、胸が痛い。痛くなって、切なくなって――頬に、一筋の涙が零れて落ちた。

 どうして自分は、こんなに哀しいのか。
 どうしてこんなに、心臓が壊れそうなくらいに、苦しいのか。
 どうして、涙が、止まらないのだろうか。

 ふいに、空気が大きく揺らぐ。背後に、人の気配を感じた。
「せんせい?」
 老樹にくっつけていた額を慌てて離し、指で頬を拭う。振り返ろうとした。
 同時に、背後から、強く抱きすくめられた。突然のことに、無意識に体が強張る。
 目の前で交差する力強い二本の腕。見覚えのあるオリーブ色のデッキジャケットの袖口。ほんのりと漂う煙草のにおいに、葵の瞳に複雑な色がにじみ出た。
 オレの周りに、煙草を吸う人間は知っている限りではたった一人だけ。もっとも、オレが苦手で嫌がるから、目の前では絶対に吸ったりはしないけど。
 そっと瞼を閉じた。目尻に閉じ込められていた雫が、一度に頬を伝う。
「――よかった……無事、で」
 そう告げた薫の声は、いつもよりもずっと掠れて耳に届いた。抱きしめるその腕が、かすかに震えている。
 冷たく突き放すのも、こいつ。だけど、こんなふうに震えながら抱きしめてくれるのも、薫なのだ。痛い。からっぽだった心の穴に、なにかが流れ込み、溢れてゆく。痛い。
 胸元でしっかりと自分を抱きしめている両腕に、縋りつきたくなる気持ちを必死で堪えた。
「なんで、あんたがここに……なにしに、来たんだよ」
 くぐもった声がもれた。
「あの先生に、聞いた……稲野辺さん。おまえが、千年桜のそばにいるって」
 先生。そういえば、先生は。
「――稲野辺先生は?」
 そう尋ねると、薫はきょとんとした顔で首をかしげた。
「知らん。電話でそう聞いたんだ。それから、ネットで場所を調べて……俺が、頭に浮かんだ場所と同じだったから、ここだと」
「そっか……電話」先生はもしかしたら、最初から薫をここに呼ぶために。だけど、どうしてここに。
 目の前を、はらりと桜がひとひら、舞い落ちた。無意識にそれを目で追う。
「なんでだろう。ここに来たら……ひどく懐かしくて――変な感じがした。初めて来る場所なのに、な」
 舞い降りてくる桜の花びらを、掌でつかもうとした。それを阻止するように、薫が手首をつかむ。その顔を見上げようと、体をひねった。
「なにも、思い出さなくて、いい」
「え?」
「おまえは、なにも、思い出さなくていい。頼むから――葵は、葵のままでいてくれ。頼む……頼む、から――」
 それは、腹から搾り出すような悲痛な声だった。その声が、薫のその声が、遠い遠い昔の、誰かと重なる。


 ――貴方は貴方のままで……桜の花のように可愛らしい貴方のままで、いてください。


 その声は、頭の奥深くで響き、あっという間に全身を侵食してゆく。同時に、鋭い刃物で胸を突かれたような痛みが襲った。低いうめき声が、口からもれる。
 胸が、痛い。
 葵は自分の胸をかきむしるように、強くつかんだ。
「葵?」
 突然、前かがみに倒れそうになった葵の肩を、薫はきつくつかまえた。
「どうした? 葵」
「――っ、」
 体全体を覆い隠すように広がる痛みに、立っていられない。葵は膝を折り、地面に両手をつく。薫の声が、どんどん遠くなる。
 何度も、オレの名前を呼んでいる。その声が、どこか遠い世界の出来事のように、遠くなってゆく。
 見上げた。ほんやりとした意識に映るその顔。ハシバミ色の……懐かしい瞳。とても、好きだった人。とても、愛していた誰かの顔が、薫のそれときれいに重なった。重なって、みえた。
 ――逢いたかった。とても、とても、あなたに逢いたかったの。
 内側から溢れてくる誰かの想い。誰の。

「葵、おい、しっかりしろ。どうした?」
 いまにも意識を手放しそうな葵の肩を、薫は激しく揺さぶった。
「葵」
「……くや、さま」
 葵の唇が、力なくそう呟く。
 薫は切れ長の瞳を、目一杯に見開いた。みるみるうちに、その顔から血の気がひいてゆく。
 葵の唇が、なにかを告げようと開く。それは、言葉にはならないで宙を舞う。両手で薫の頭を支えるようにしてつかまえると、最期の力を振り絞るように、そっと唇を重ねた。
 薫は、目玉が飛び出しそうになった。動揺した。あっけにとられたまま、葵を見下ろす。
 青みがかった大きな瞳から、いくつも涙が零れて落ちた。嬉しいのか悲しいかわからない複雑な表情で、葵は薫を見上げている。その面持ちはもう、いつもの彼のものとは違っていた。薫が知っている葵のものではなかった。
「葵、しっかりしろ、自分を手放すな! 葵!」
 葵、葵、葵。くどいくらいに、その名を呼び叫んだ。いまにも意識を手放してしまいそうな華奢な肩を、何度も激しく揺さぶった。
 やめてくれ!
 薫は心の中で、狂わんばかりに叫んだ。
 過去生の記憶など、望んじゃいないのに。このうえ、こいつまで、苦しめるというのか。
「葵、しっかりしろ! おまえは『神楽かぐら』じゃない、御巫葵みかなぎあおいだ! 葵!」

 虚ろな目で見上げる葵の白い頬に、いつくも雫が降り落ちた。
「葵、頼むから、しっかりしてくれ、葵……たのむ、から」
 やがて、葵の腕が意思をなくして、だらりと垂れた。自然に閉じてゆく両の瞼。薫は自分の胸に、葵をかき抱く。黒髪を握り締めるように頭をしっかりと抱いた。
 ほんの一瞬、葵の瞼が薄く開く。再び襲ってきた大きな記憶の欠片に飲み込まれるように、瞳を閉じた。

                ◆

 ――大好きなあの人の声が、遠くで響いてる
 あれは、だれの、声だったか。
 ――ありがとう。これで、やっと、あなたが望んでくれたわたくしに、もどれる。
 壊れそうだった胸の痛みが、しだいに薄れてゆく。気が、どんどん遠くなる。
 なにも、感じなくなってゆく。
 ――ありがとう。

 それは、オレ自身の気持ちなのか、それとも別の誰かのものなのか、もうわからない。
 自分は、いったい、何処へ
 何処へ、帰って、ゆくのだろう。
 わけもなく、そう、感じた――。  


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