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ハラルド美髪王の家系

ハラルド美髪王(ハーラル1世、c.850 - c.932)の家系とフラジル(ラーデ)の侯家との関係を中心にした相関図を作ってみました。
美髪王の妻は重要と思われる6人のみ記載、ほかにも兄弟多数とか端折ったところもありますが、此処に並んでいる人達だけでもいろんなサガに語られる沢山のエピソードがあります。


右端の〈徒歩〉のフロールヴはノルマンディー公ウィリアム(ギョーム)の先祖ロロです。彼とフラジル(ラーデ)の侯家は親戚だったのですね。


ノルウェー王家(美髪王の家系)とフラジルの侯家の関係について。
ホーコン・グリョートガルズソンは美髪王の息子〈黒髪〉のハルヴダンとシグレーズを養育。シグルズ侯はホーコン善王(ホーコン1世、c.920 - 961)の側近で良き相談役でした。

両家の間の確執は、ホーコン善王の後継ハラルド灰衣王(ハーラル2世、c.935 - c.970)とその兄弟、王母グンヒルドがシグルズ侯を焼き討ちしたことから始まります。その数年後、シグルズ侯の息子ホーコン侯がデンマークのハラルド青歯王と結託し、父親の復讐を果たしました。

しかしホーコン侯はたいへん女好きだった上、晩年の悪政で評判を落とし、王位奪還のためにノルウェーに帰国したオーラヴ・トリュグヴァソン王(オーラヴ1世、960s - 1000)に倒されますが、オーラヴ王はスヴォルドの海戦でホーコン侯の長男エイリーク侯(960s - 1024)とデンマーク、スウェーデン連合軍に敗れて戦死。

その後、エイリーク侯は義兄弟のクヌート(デンマーク王、c.995 - 1035)を支援するためイングランドに行き、異母弟スヴェン侯が〈太鼓腹〉のエイナルやエルリング・スキャルグソンと共にオーラヴ聖王と戦っています。結局、関係は拗れたままでした。


ハラルド美髪王とスネーフリーズの息子〈高脚〉のハルヴダンは傲慢な人物で、兄弟のグズレーズとともに父王の友人だったメール侯ログンヴァルドを焼き討ちし、侯の息子〈泥炭〉のエイナルに復讐されるのですが、サガには捕らえられたハルヴダンの処刑法が〈血鷲刑〉だったと記されています。

エイナルはオークニーの侯(ヤール)でした。ハラルド王の息子を殺害したことで有罪とされましたが、王に多額の賠償金を支払い、和解したようです。 ハラルド美髪王はお気に入りの息子とそうでない息子がいたので、殺されたのがお気に入りの息子であったなら、賠償で済まなかったかもしれないですね。


〈商人〉ビョルンの子グズレーズの息子にグレンランド(現在のテレマーク)のハラルドがいます。彼は妻アースタがいるにも拘らず、当時未亡人となっていたスヴェアランド(スウェーデン)のシグリーズ(スヴェア王オーラヴの母)が住む館に乗り込んで求婚、他の求婚者と共に焼き討ちされました。
シグリーズはひじょうに美しい女性で、亡き夫(エイリーク勝利王)の莫大な遺産を受け継いでいたので、求婚する男性が後を絶たなかったそうです。
彼女は外国から求婚に訪れる小王たちがうざかったので焼き討ちしたと言い、〈高慢〉とか〈誇り高い〉と綽名されるようになりました。シグリーズはその後、オーラヴ・トリュグヴァソン王と婚約寸前で破談、デンマークのスヴェン双髭王と再婚。

グレンランドのハラルドの妻でオーラヴ〈聖王、c.995 - 1030〉の母アースタは、夫の死後、リンゲリーケを治めていた〈雌豚〉のシグルズと再婚。生まれた息子の一人がハラルド苛烈王(ハーラル3世、c.1015 - 1066)です。

エピソードは他にも沢山あるので、いずれ編集し直したいと思います。
ハラルド苛烈王については、別の記事に書きます。

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