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「物語」を書くということ

このところ、有難いことに文学フリマに関する記事を読んでいただいたり、フォローしてくださる作家さんが増えた。
ちょうど良い機会なので、私にとって文章を書くということがどのような意味を持つのかをあらためて考えてみようと思う。


なぜ小説を書いているのか――ということを、私はこれまであまり考えてはいなかった。
ただ、幼い頃から本が大好きで空想癖があり、お話を考えるのが得意だったのは確かで、初めて小説のようなものを書いたのは中学生の時だった。
友人と交換日記みたいな感じで、お互いの小説(らしきもの)を見せあっていたのだが、中学~高校では部活は体育系や演劇部に所属。
文芸部に入る気はまったく無かった。小説家を目指しているわけではなかったし、文章を書くことは私にとって自己表現の唯一の手段ではなく、数ある手法の一つとして捉えていたからだ。

小説以外にもやりたいことは沢山あった。
音楽、演劇、デザイン、歴史研究。
そのすべてを結び付けたのが、北欧への興味だった。

歴史ものはローズマリー・サトクリフを愛読していたので元々好きだったのだが、15歳の頃に図書館で出会った北欧神話の本と、あずみ椋さんの『戦士の宴』というヴァイキング漫画を読んだことから、北欧への憧れとヴァイキングへの関心が急速に高まり、貪るように関連書籍を読み漁った。
おこずかいで初めて買った北欧関連の本は、谷口幸男氏の『エッダとサガ ―北欧古典への案内―』で、今もヴァイキング書籍だけを集めた本棚で最古参として定位置を確保している。

音楽はHR/HMを好んで聴いていた。贔屓は北欧メタルで、EUROPEを筆頭に、ALIEN、TREAT、TALK OF THE TOWN、TALISMAN、TNT、SHA-BOOM、DA VINCI … メジャーからマイナーまで、好きなバンドは数多く、実際に国内外でライヴを観たり、北欧の地で会えたバンド・ミュージシャンもいる。
ノルウェーやスウェーデンのミュージシャン達は自分達の楽曲に北欧の民族音楽やクラシックを取り入れていたので、そちらにも興味が広がり、グリーグやシベリウス、ノルディック・フォークなども聴くようになった。
戯曲はイプセン、ビョルンスティヤーネ・ビョルンソン。
デザインはヴァイキング美術から現代の北欧デザインまで。

短期大学で造形デザインを専攻、ものづくりの基礎を学んだこともあり、当時はアクセサリーや服飾関連、雑貨など造形的な表現に重きを置いていた。
また、実際に北欧や英国に行ってみたくて、比較的長期の滞在を含め、何度も現地を訪れた。
ヴァイキングの故郷、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク。
史跡や博物館は勿論、当地の空気に触れるだけで遠い時代を生きた人々の息づかいが感じられるような気がした。
実のところ、初めてのノルウェーは漫画家のあずみ椋さんとご一緒させていただいた。今も描き続けておられる『神の槍』のお話を伺うことができたのは、とても楽しく、良き想い出となっている。

小説はというと、学生時代は書いていたものの、就職してからは殆ど書かなくなった。
友人と共作で現代スウェーデンを舞台にした小説(ストックホルムでハードロックバンドを結成した若者たちのサクセスストーリー)を書き、同人誌にしたことくらいだろうか。

選り好みの激しさから小説家になりたい(なれる)とは思わなかったので、文学賞等に応募したことは一度も無いが、文章を書く仕事には興味があったので、旅雑誌に投稿したり、英国の某メロハーバンドのファンサイトを運営したりと、何かしらの表現活動は続けていた。
仕事としては、数か月間オランダに滞在していた経験から、KLMオランダ航空の機内誌『ウィンドミル』や『地球の歩き方 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク』に寄稿。
さらに英国のウィーガン(マンチェスター近郊)で開催されたロックフェスでHR/HM専門誌『POWERPLAY』の編集長と知り合い、コラムを一年間連載させていただいた。運は人が連れてくる、というのを実感した出会いだった。
英文でのライティング経験は、大変勉強になった。
原稿は提出前にバイリンガルの先生に見ていただいていたのだが、その時に「日本語で書いた文章を英訳するのではなく、最初から英語で考えて文章を書いたほうがいい」とアドバイスをもらった。
英語脳で考えろ、というのだが、なかなか難しく、慣れるのに苦労した(今でも慣れてはいない)。
その他、単価が低くてすぐにやめてしまったが、国内で旅情報のWEB記事を執筆。

読む方は、歴史書からビジネス書まで色々手を出していた。
小説は歴史・時代もの中心。他ジャンルではタニス・リーあたりのファンタジーや田中芳樹の『マヴァール年代記』(架空の国々が舞台とはいえ歴史小説といっていい作品だと思う)が好きだった。
ファンタジー小説の執筆に挑戦しようと考えたこともあったけれど、あらためて読んだ J.R.R. トールキンの『指輪物語』、そして『シルマリルの物語』の壮大な世界観に圧倒され、異世界を創造する想像力に乏しい自分にファンタジーは書けないと心底感じた。さらに悲しきかな、私にはネーミングセンスがまったくと言っていいほど無い。また、ファンタジー小説によくある流麗で美しい文体が私は苦手だった。書けないのもあるが、くどさを感じるほどに修飾語を多用した文章は元々好きではなかった。
ならば、やはり歴史ものを手掛けたい……と思い、再び小説を書こうと考えたのが執筆を再開するきっかけだった。


ところが、再び小説を書こうと決めたものの、プロットの段階で挫折したり、書き始めては途中でやめたりで、完結させることができないまま数年が過ぎた。
それでも何か書きたい思いだけはあったので、きっかけづくりに他人の歴史小説(紙媒体の同人誌、WEB小説を含む)を幾つか読んでみることにした。
そのうちの一つが、強烈な印象を私に与えたのだ。
私が書きたいと望んでいたのは、このような作品だと直感した。
歯切れのよい文章、鮮やかなストーリー展開、魅力的な登場人物に惹かれ、感化されて書き始めた小説は長いものになった。熱に浮かされるように書き続け、やっと完結させることができた。しかし、後半からラストにかけてのくだりが気に入らない。個人誌として本にしてみたが、どうにも違和感が拭えない。
好きではあるものの書き慣れない時代であるからか、何度書き直しても、自分らしさが出せず、イベントに出たいがために無理やり本を作ったことを後悔した。
気づいてしまったのだ。史資料の少なさも勿論あるのだが、何よりも私に小説執筆を再開させるきっかけになった、あの印象深い作品の影響を受けすぎていることに。
これではオリジナルといえない。二番煎じにすぎないではないか。
その作品の作者に申し訳ない気持ちで一杯になり、私は自作を封印した。
世に出てしまった分は取り返しがつかないが、増刷はせずに販売終了を決めた。
そんなわけで、私の執筆再開は苦いものとなってしまったのだが、このような時に必要なのはやはり原点回帰。
大好きな北欧、ヴァイキング時代の物語を書こう、書きたいと強く思ったのだった。

そして完成したのが、『海王の船団』である。
私の愛するヒーローたち ――オーラヴ・トリュグヴァソン王やエイリーク・ホーコナルソン―― が活躍するスヴォルドの海戦を描きたい一心で書き上げた物語。


私はやっぱり、ヴァイキングものが好きだ。
この時代を書くのが楽しいし、登場人物に魂を込められる。
書き上げた時、何とも言い難い充実感に浸れるのだ。
物語中にスカルド詩を織り込むという自分らしい手法もつくれた。

『海王の船団』を新刊として参加した第四回文学フリマ京都(2020年1月)では、有難いことに沢山の方が購入してくださり、通販でも新たなご縁をいただき、嬉しいご感想も数多く頂戴した。
真の復活作といえるこの本を買ってくださった方々に、私はどれほど元気づけられたことか……本当に感謝しかない。

次に書いた『覇王の剣』上下巻も好評いただき、嬉しい限りである。
私が知る限り、国内でまだ誰も書いていない人物を主人公にした小説が書きたかったので、推しのヴァイキング王3人のうちの1人、ホーコン善王を選んだ。
こちらは「ホーコン善王のサガ」をもとに創作を加え、ホーコン王のスカルド詩人たちの詩で彩った作品に仕上げた。
目指したのは、山室静氏の『バイキング王物語』、早野勝巳氏の『バイキング王ハラルドの冒険』のような英雄物語。
ヴァイキングに興味を持ち始めた、15歳の頃の私への贈り物 ――。


そう、私は文芸作品としての「歴史小説」ではなく、スカルド詩人が語るような「歴史物語」が書きたかったのだ。

ここに辿り着くまでに随分長い時間を要してしまったが、物語を書くことは自己表現の一つとして、今後も続けていきたいと思う。


長文になってしまいましたが、独り言のような文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

拙作につきましては、下記のサイトへお越しください。
Works の「オリジナル小説」にあらすじ等を紹介しています。


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