見出し画像

自己肯定感の先にある、自己効力感

世界一、自己肯定感の低い国が日本らしい。


「周りに迷惑をかけないように生きる」べし

「人様に嫌われないよう生きる」べし

「和を持ってみんな仲良く生きる」べし

私は日本の雰囲気をこんな風に感じている。


ぜんぜん間違っちゃいない。

むしろそりゃそうだ。とも思う。


でもだ。


自分はどこにいった?


何が食べたい?

「なんでもいいよ」

何が好き?

「なんだろうね」

何がしたい?

「なんでもいいよ」

何ができる?

「わかんない」


実はこれ、私もでした。


どうやらこれは

幼児教育、学校教育、社会教育

全てが影響しているらしい。


みんなでせーので同じことをして教えこむ。

自発的な知識じゃないから、吸収もしにくいし

知識を使ったアレンジもなかなかできない。


さらに、できるのが良い、できないのが良くないと教育され

効率を求め、できないと叱られ、できると褒められる。



しかし、一人一人のペースとやり方がある。

一人一人の感情と思いがあるのだ。

厳密にいえば、あった。かも知れない。

教育によってそれがどこかへ消えてしまったようだ。


叱る、褒めるということは

叱ったり褒めたりする側の主観に過ぎない。

他の人や、本人からしたらいいと思うことなのに叱られ

他の人や、本人からしたら別に普通のことで褒められる

そうすると何が起きるか、、

その人に、叱られないようにやる、叱られるからやる、叱られるからやらない

その人に、褒められるからやる、褒められたいからやる、褒められないからやらない


自分の行動が、自分がよいと思ってやらずに、

叱る人、褒める人主体で考えてしまうようになるのだそう。

それも無意識に。


「自発的な行動や、考えを持っても良い。」

と自分にOKを出せなくなったり

自分以外の自分を評価する人のいう事を聞いて

生きていく習慣になってしまうのだ。


と、先日、森のようちえんを30年前からやっている方が言っていた。


確かに私自身、他の人がどう思うかを基準にして考えることがたくさんある。

褒められるかな?怒られるかな?
ともよく思ってしまう。

子供が産まれた今、やっぱり、その子の内側にあるすべて

出して生きても大丈夫だよ、全部愛してるよと言ってあげたい。

自分でいいんだ、じゃなく、さらにその先の自分がいい!!

と感じながら生きて欲しい。




でもね。子供を持つ親としては、やっぱり褒めたりしたいっす。

それに、褒められるとやっぱ嬉しいし。

褒められないとやる気しないなら、褒めてくれる人と一緒にいればいいじゃん。


そう、私の出した答えは、


「それはさておき、なんでもいい。」

だ。(笑)


これまでの文章が、、一気にむだに、、(笑)


それぞれ育つ環境は選べないし、

日本の教育をすぐすぐ根底から変えることなんてできない。


先にも書いたように、

子供は育てるんじゃなく、勝手に育つ。


なら今できることは、

ただただ今の自分を受け入れ

他人のことはさておき


自分でいい。


という自己肯定感をこつこつ自分で育てる。

そしてその上をいく


自分がいい。



という自己効力感まで

しあげていきたいとおもう。



「良いと思ってやったことはなんでも良い。」



これは、私の母の名言。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?