キャッチコピーの破壊力
久しぶりにテレビを見る機会があって、ぼーっとCMを眺めてしまっていた。
流れてきたひとつのフレーズに釘付けになった。
「そのサラダは、メインディッシュになる。」
ドレッシングのCMだった。
端的で、それでいて印象的で、商品の性質をよく伝えている。
秒数にすると2秒程度だろうか。文字にすると1行だ。その少ない言葉でインパクトを与えるキャッチコピーという存在に震えた。
僕も、どうすればうまく言葉を伝えられるか日々考えている人間の1人だ(これでも)。
一言でインパクトを与えるキャッチコピーとはまた違うかもしれないけど、それでも刺激を受けた。
CMという限られた時間の中であれだけの破壊的な印象を与えられる。コピーライターの方を心底凄いと思うと同時に、言葉そのものの力をまざまざと思い知らされた。
キャッチコピーをあつめてみよう、と思った。
なんでも手を出すJAMの悪癖がまた発動している。とにかくハマり出すと止まらない。これをupしたら少しググッてみようと思う。
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ちなみに僕はCMが好きではない。ほとんどのものはインパクト重視で品がないし、余計な買い物をしてしまう可能性が高まってしまうからだ。「CMをぼーっと見てたくらいで購買欲なんて変わらない」と思っている方はちょっとだけ考えてみてほしい。
地上波のテレビ番組のスポンサーのほとんどは、一般消費者向けの広告を打っているということを。そしてそのお金でテレビ番組をつくるための莫大な資金と演者へのギャランティが支払われるのだ。
最近テレビの力は弱くなってはきている。ならYouTuberはどうだろう。彼らの収入源のほとんどは広告主からGoogleと折半されたものだ。あの小さな画面に表示される広告が膨大な費用をかけてつくられている。そしてそれをしても多分利益が出るからこのシステムが成り立っているのだと思う。
つまり広告主はCMを打つと儲かるのだ。それは消費者がお金を使ってくれるからに他ならない。
そして知らない間に購買欲を掻き立てられるようにできているのが広告だ。
僕もかっこいい車のCMを見る度にうっとりし、それを所持したいと思ってしまう。「きょう、ケンタッキーにしない?」高畑充希に囁かれたら「ああ久しぶりにケンタッキー食べたいな」と思うかもしれない。
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ちょっとCMの悪口を書いてしまったけど、とにかくこれを作っているのは人の心を言葉で操るプロたちなのだ。
僕はそこに魅力を感じた。美しい映像とともに人々の心に刺さるとてつもなく重い言葉。それを生み出せた時は脳内麻薬がドバドバ出そうだ。
こういうふうにダラダラ書くのが好きなタチなのだけど、僕も一言で人の感受性をぶん殴ってみたい。
「感受性を、ぶん殴れ。」
…キャッチコピーっぽくないですか?
…。
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