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食と歩きのリハビリ(香港澳門#3)

どんな店でも、入る時は少し緊張する。
そもそも他人に話しかけるのに緊張するのだから仕方がない。
だがそれが異国ともなると、「この入り方で良いのか」「英語で行った方がいいのか、むしろ別の言葉がいいのか」「そもそも通じるのか」といった不安も増える。
旅を重ねて、なんとなく塩梅を得ていくわけだが、コロナ禍の三年間ですっかり飛んでしまった。
旅のリハビリは、飲食のリハビリから始まる…。

食事のリハビリ

香港は九龍半島、地下鉄オースティン(柯士甸)駅からほど近い食堂。
どうやら「茶餐廳」という庶民的な喫茶店と食堂を合わせたタイプの店らしい。
腹が減っていた私は勇気を出して扉を開けた。

もう3時だというのに店は割と混んでいる。
店員も忙しそうである。
「ハロー、ワンパーソン」
香港は英語が通じる、と聞いていたので、とりあえず英語で行く。

店のおばさんが、空いている席を指差す。
すぐ隣ではお爺さんがミルクティーを飲んでいた。
この時は知らなかったが、香港では相席が当たり前で、隣どころか目の前に客がいる席に通されることがある。
それでも誰も気にしていないし、気まずさもない。
それが結構良かったりもする。

メニューをもらったが、みてもよくわからない。
写真があるものもあるが、今欲しいものではなかった。
私は、英語でspicy pork riceと書かれたものを頼むことにした。

今度は店のおじさんを捕まえ、豚飯を頼む。
「飲み物は?」
と聞かれたので、何があるのか聞くと、
「ミルクティー、レモンティー、グリーンティー…」らしい。
外があまりに暑かったので、レモンティーを頼んだ。もちろん、アイスである。

すると、すぐさまレモンティーがサーブされる。
銀のタンブラーに入っていて、キンキンに冷えている。
スカッとするレモンの香りと冷たさがちょうど良い。

しばらくして出てきたのは、ライスとカリカリに揚げ焼きされた豚肉である。
ワンプレートにのっていて、ライスの上には甘辛いタレが、豚肉の上にはパプリカが添えられ、七味のようなシーズニングが振りかけられている。
見た目はちょっと安っぽさがあるが、これもまた趣である。

さて食べるぞ、という段になって、箸もフォークもれんげもないことに気づいた。
どうしたものかと目を泳がせていると、斜め前に座っている老人が、こちらを見て机の側面をポンポンと叩いている。
私も机の側面に手をやると、引き出しがあった。
「とーじぇ(ありがとうございます)」と伝え、私は箸を取り出した。

さて香港初の食事だ。
肝心の豚肉ご飯の味はというと、可もなく不可もなしという感じである。
すごく中華というわけでもなく、すごく辛いわけでもない。
だがそれはそれでリアリティがある。

お冷に見えるのはお湯。お熱である。

席を立ち、支払う、というだけでも、郷による作法がある。
例えばヨーロッパなどではテーブル会計だし、日本はキャッシャーでの会計になる。
これをミスすると、面倒な客になるか、食い逃げ騒動になる。

見たところ、香港は日本と同じで、キャッシャーに行って会計するようだ。
というか、少なくともこの店ではそうだ。
私は伝票を持ち、リュックを背負い、
「とーじぇ」と店員に声をかけた。
やはりキャッシャーでの会計のようで、店のおばさんも入口の方までやってきた。

飲み物込みで50香港ドル。
だいたい千円。
高いとも言えるし、安いとも言える。
何ともいえない街である。
今のところ。

店を出たらあとはホテルを目指すだけだ。

街歩きのリハビリ

蒸し暑い道を「佐敦(ジョーダン)」駅に向かって歩く。
すると道の向こう岸に大きな中国風の門が見えた。
気になったら行ってみる。これが街歩きのリハビリだ。

わざわざ道路を渡って門を潜ると、中は公園になっていた。
「英皇佐治五世公園(英国王ジョージ5世公園)」というらしい。
ジョージ5世は第一次世界大戦の時の英国王。ヴィクトリア女王の孫で、チャールズ2世現国王の曽祖父にあたる。
こういうところに英国統治の名残が見える。

公園の中では上半身裸の老人たちがぐでーんとしている。
英国王の名を冠した公園とはミスマッチな光景だが、なにせ蒸し暑いのだ。

* * *

公園散策をしても暑いのは変わりないので、早々にホテルへの道に戻った。
途中、うまそうなワンタン麺屋があった。
私が出会った最初の香港文化は映画ではなく、四谷三丁目にある「香港麺」の店だった。
その時初めて、普通の「中華料理」ならざる中華料理を口にして、世界中の料理に興味が湧いた。
どうやらあの「香港麺」は現地ではシンプルに「ワンタン麺」らしい。
あのスパイシーポークを食べていなければ……。
私は泣く泣く店の前を通り過ぎた。

そんな道の途中で見つけた衣料品店。
おわかりいただけただろうか?
居抜きなのか、看板がレストランである。

しばらく歩くと、「廟街」と書かれた門が現れる。
「廟街」は『深夜特急』の中で沢木耕太郎に鮮烈な印象を与えたナイトマーケットのある場所だった。
私は吸い込まれるように「廟街」に入った。
しかし、まだ昼だったからか、人もまばらで、空っぽの屋台と客引きをする水商売の女性しかいない。
また夜に来るしかないか、と思いつつ、廟街を端まで歩いた。

昼の廟街

「ホテルは多分こっちだろう」という方向に歩くと、ホテルがある「彌敦道(ネイザンロード)」という大通りにでた。
こういう感覚、「相対土地勘」とでも言える感覚はまだまだ鈍っちゃいないぞ、と少々傲慢に嘯いて、ホテルのあるビルをさがした。

宿を求めて

香港の安宿は、基本的に、一棟持っているタイプであることが珍しい。
大抵は古い雑居ビルの一区画がホテルになっていて、有名な重慶大厦もそうしたタイプの宿が集まっている。
私が予約したホテルも、重慶大厦ではないが、雑居ビルの5階に位置している。
雑居すぎるにも程がある。

ちなみに重慶大厦を選ばなかったのは、他の人と同じ旅をしてもしかたがないから……などと言えばかっこもつくけれど、本当は旅のリハビリで重慶大厦に入る勇気がなかっただけである。

我がホテルは「ナショナルコート」という雑居ビルに入っている。

奇数階にしか止まらない小さなエレベーターで五階へと向かう。
買い物帰りのおばちゃんやラフな格好のお姉さん、スマートフォンに目を釘付けのお兄さんと一緒である。
五階で降りたのは私一人だった。

五階には他にもホテルがあるようで、表札がいくつかある。
私のホテルは「祥泰旅館」という。英語名は「グッドフォーチュンイン」。
何やら縁起が良さそうである。
他のホテルも「立信」とか「恒盛」とか、縁起が良さそうな名前が並んでいる。

さてと、チェックインである。
久々の、海外での、チェックインである。
私は深呼吸した。

(続く)

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