夜型人間が集まってくる(イスタンブル、イスティクラール通り)
トルコの古都イスタンブルは、大まかに、旧市街と新市街にわけることができる。
などと気取った言い方をしてみたが、至極あたりまえのことである。
古い街には、古い街区と新しい街区があるに決まっている。
だからなんだっていうのか。
問題は、新市街がどのくらい新しいのかだ。
新しい街?
イスタンブルの「新」市街は、古くは14世紀、日本で言えば鎌倉時代から室町時代にかけての頃に遡る。
まるで京都人の「先の戦争」が応仁の乱だ、という小咄のような世界観である。
それもそのはず、イスタンブルができたのは紀元前。
1300年代なんていうのはつい最近である。
そんな古い新市街のど真ん中に、とある通りがある。
名前はイスティクラール通り。
トルコ語で「独立」という意味だ。
イスティクラール通りはすごくでかい通りというわけではないが、イスタンブルを訪れた人なら、きっと一度は耳にするか、歩いている。
何を隠そうこの通りは、イスタンブル随一の繁華街なのだ。
坂を登ってガラタ塔
新市街は、トプカプ宮殿やアヤソフィア、グランドバザールなど有名観光地がある旧市街から湾を一つ隔てたところにある。
長いガラタ橋と呼ばれる橋を渡る必要がある。
路面電車も走っているが、歩くのもいい。
橋の欄干で釣りをするおじさんたちを眺めたり、海風を感じることができる。
イスタンブルという街は坂道の多い街だ。
それは新市街も例外ではない。
その証拠に新市街に入るといきなり急勾配の坂道が出現する。
階段で舗装されてはいるか、なかなか運動になる。
しばらく坂を登ると、一つの塔が見えてくる。
円柱型の胴体に、円錐型の屋根。
とってもわかりやすい塔である。
この塔の名前はガラタ塔。
かつてイタリアのジェノヴァから来た商人たちが新市街への居住を許された時、政治の中心である旧市街側を監視するために建てた。
今では観光地、夜景スポットである。
カップルの観光客が楽しげに語らいながら歩いてゆく姿をよく見かける。
ガラタ塔は一番の高台にあるのかと言うと実は違う。
ガラタ塔から曲がりくねった坂道が続き、それを上り切ったところがイスティクラール通りの起点なのである。
この道は急勾配で、階段もなく、曲がっているものだからなかなか難儀する。
フニキュレルは地下鉄か?
イスティクラール通りの起点には、駅がある。
実は曲がりくねった坂道を登らずとも、ガラタ塔まで行かずとも、橋の袂から「フニキュレル」と呼ばれる地下鉄が通っている。
地下鉄、といっても、丘の地下を走るロープウェイのようなものだ。
つくりも登山用のロープウェイよろしく階段上に席が配置されている。
このフニキュレルは、ロンドンの地下鉄開業に次いで世界で二番目の地下鉄道として開業した。
とはいえ、「いや、どうみたってロープウェイだろ」と史上三番目に地下鉄を開業させたハンガリーはブダペシュトから物言いがついている。
だが地下鉄に乗って繁華街に行くより、塔を眺めたりしつつ、勾配を感じつつ、向かった方が趣がある。
疲れていない時は、できれば、足で登るのがいいんじゃないだろうか。
喧騒のイスティクラール
さて、イスティクラール通りだ。
通りに辿り着くと、あたりは、人、人、人。
スカーフを被った人、そうでない人、彫の深い人、平たい顔の人、ありとあらゆる人間が夜のそぞろ歩きをしている。
トルコ語や英語、いろいろな言葉で溢れている。
ずらりと左右に並ぶ店からは、「ブユルンブユルン(いらっしゃいいらっしゃい)」という呼び込みの声が飛び交う。
「うざい」店選手権のトルコ代表、アイスクリーム屋は、アイス用のスプーンでバットをリズミカルにチャカチャカチャカチャカと無言で鳴らす。
そして、ギターやヴァイオリンを弾くストリートミュージシャンの楽しげな音楽。
肉とスパイスの焼ける香り、魚の香り、ラクと呼ばれる酒や水タバコ(シーシャ)の甘く退廃的な香り、菓子屋から漂う甘ったるい香りで道全体が充満している。
そんな雑多な空間に立ち並ぶのは、小綺麗なヨーロッパ風の建物だ。
イスタンブルが都だった頃、新市街が「外国人」の居留地だった名残だ。
先ほどのガラタ塔もそのうちの一つ。
西洋風の装飾に満ちた建物を横目に歩くのも楽しいものだが、溢れる人に押し流されることは覚悟しておきたい。
市場の一幕
「へい、いらっしゃい。うまい魚が入ってるよ。イスタンブルにきたんだ、食っていかなきゃあ損ってもんだよ」
イスティクラール通り沿いにある魚市場の近くでは店のお兄さんに声をかけられる。
そして大抵は高いのである。
「おお、うまそうだ、また戻ってくるよ」
などと分かりきった嘘をつくと決まって、
「待ってるよ、待ってるからな!?」
と分かりきった返をしてくる。
そのやりとりは面倒だが愉快である。
今宵はちょいとムール貝ピラフ
イスティクラール通り沿いにある魚市場のグルメといえば、私は必ず「ムール貝のピラフ」を思い浮かべる。
ムール貝が入ったピラフではない。
そんなつまらないものではない。
ピラフが入ったムール貝である。
でっかいお盆が路上に置かれ、そこに大量のムール貝が並んでいる。
店主に2リラ(当時は40円)渡すとムール貝を開き、手渡してくれる。
中身を見てびっくり。
ムール貝にピラフが詰まっている。
そこにレモンをちょいとかけて、一口で中身を口に運ぶ。
貝の出汁とレモンがよく効いたうまいピラフだ。
気に入ったら、また2リラを渡して一つもらう。
その食い方が何とも粋で、さっぱりしている。
日本でトルコといえばケバブサンド、ケバブラップ、ちょっと凝っていてもサバサンドくらいのものだ。
このムール貝のピラフを売る店の一つや二つ、出てきてもいいのに、と思う。
例えば築地や豊洲の路上など。
いかがだろう。
ノスタルジックが通る
だが、イスティクラール通りでぼやぼやと歩いていると危険である。
スリや詐欺師云々だけではない。
なんとイスティクラール通りのど真ん中はノスタルズィックトラムヴァイ(直訳すれば郷愁路面電車)の通り道なのである。
真っ赤な車体の路面電車が、突如、チンチンチンとあまりに可愛すぎる警笛を鳴らしながら、道の真ん中を進んでいく。
人が多すぎるのでスピードはかなり遅い。
それまで歩いていた旅人たちはさっと道をあけ、さっとスマホを取り出し、トラム撮り出す。
そしてトラムヴァイが去ると、道は元通り、人間たちの天下である。
その様子は見ていて飽きない。
タクスィム広場からパレードに出かける
しばらくは「よけ専」だった私も、意を決してトラムヴァイに乗ったことがある。
トラムヴァイの起点の駅はイスティクラール通りの北の端タクスィム広場にある。
そこはおそらく何らかの戦争のモニュメントが掲げられ、無数のトルコの旗がはためく、鳩と人で賑わう広場だ。
タクスィムというのは、アラブ音楽の世界では「即興演奏のセッション」といった意味になるはずだ。
するとここは「セッション広場」になるのだろうか。
本当のところはよく知らない。
そんな広場の駅は夜でも人だらけだ。
電車内も人だらけなので、強い意志を持って窓が見えるポジションを探す。
人に気を取られていたが、車内は木目調でまさにノスタルズィックだ。
チンチンチン、とトラムヴァイは走り出す。
その風景は何とも面白かった。
窓の外には人の海で、とにかくゆったりと電車が進む。
まるで凱旋パレードでもしているようである。
夜型人間の巣窟
イスティクラール通りの夜は長い。
夕方あたりになると人で溢れ始め、夜は0時を超えても、1時を超えても、とにかく昼間のように賑わっている。
全イスタンブルの夜型人間がやってきているのではないか、というくらいだ。
不思議とガサついた、治安の悪い感じにはならないのも面白いところである。
イスティクラールを想う
私がイスティクラール通りを訪れたのは2019年のこと。
この間、感染症も広がったし、イスティクラール通りを標的としたテロも起きた。
トルコリラが、あの時の半分の値段にまで下落したこともあった。
今もまだ、カオティックな喧騒は生きているのだろうか。
いやきっと、夜型人間たちのエネルギーは絶えていないはずだ。
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