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韓国の松ジュース(飲み物という名の冒険①)

その見た目は、手に取ってくれ、と言っているようにしか見えなかった。

松との遭遇

新大久保、ソウル市場。
韓流ブームに乗った若者たちにもみくちゃにされながら行き着いたその場所で、私は逡巡していた。

私の目の前には一個の缶がある。飲み物の缶である。
パッケージにあるのは「松」の絵。ハングルを読み解くことができない私には、他に内容を類推できるものはない。
フルーツも、キャラクターもいない。ただただ松である。潔く、縁起がいい。

この飲み物は一体どんな味がするのか。好奇心のスイッチが点火されてしまって、私は売り場の前で釘付けになった。

唯一のヒントは「pine bud(松の蕾)」

私は食べ物や飲み物への好奇心が人一倍強い方だ。何だかわからない食べ物や飲み物を見ると、一度試さずにはいられない。
だからこそ、目の前にある「松ジュース」を買わないわけにはいかない。飲まないわけにはいかない。
これは運命であり、使命である。

などと、豪語してみたものの、ジュースと松という取り合わせは正直見たことがない。奇怪と言っていい。そもそも松を飲むという発想がない。
松といえば、イタリア料理のジェノヴェーゼソースに松の実を使うが、それ以外の部位を食べ物にしているのをみたことがない。
…というか、そもそも松の蕾って何だ? 何のヒントにもなっていない。

漢方系のとんでもなく苦い飲み物だったらどうしようか。
そう思うと商品へと延びる手が震える。飲んでみて後悔はしたくない。中途半端な性格である。

だが、ここで買わずに帰れば、「あのジュースは何だったんだ」と、別の意味の後悔をすることになるのは間違いない。謎を謎のままにしておいてよいのか。
「やらずに後悔するより、やって後悔しろ」
という小学校の頃の担任の言葉が蘇る。
ここで出会ったのは運命だ。
私は棚にあった松ジュースを掴み、決意を持ってレジへと向かった。

松風と共に去りぬ

会計を済ませ、ソウル市場を出る。
ギャンブルの時間だ。ベットはもう済ませた。あとは札を開けるだけ、いや、プルタブを持ち上げるだけだ。
プシュッと小気味良い音が鳴る。私は松ジュースを一口、口に含んだ。

すると、口の中が爽やかな松の香りに包まれる。この香りを形容するのは難しいが、強いて言うならハッカに似ている。だが、スースーはしない。結局、松の香りというほかない。
味は、というと、予想に反して苦くない。むしろ甘い。だが、それはベタッとする甘さではなく、すーっと引いていく爽快な甘さだ。
甘いジュースとともに押し寄せる松風。最初は不思議な味だなと首を傾げたが、徐々に癖になってくる。
コッテリとしたサムギョプサル(生ニンニクも添える)を食べた後に飲めば、口がさっぱりするに違いない。そんな風味である。
嫌いじゃない。


ウンソにて

実は、この「松ジュース」にまつわる物語には後日談がある。

松ジュースとの遭遇を果たしてから数年後、私は韓国を旅していた。
街歩きをしながらふと思い出したのは松ジュースのことである。あのジュースは韓国で普通に売っているものなのだろうか。

疑問があるなら解決するしかない。
私は、東アジア圏で1番「普通のもの」が売っている可能性が高い場所、コンビニに入ってみることにした。

すると、あるではないか、コンビニという名の森に、あのシンプルに松だけを記したパッケージが。
旅も終盤で金もなくなりつつあったが、これは買うしかないと手に取った。
味はもちろん、爽やかな松と甘さ。感動の再会である。

韓国は仁川空港からほど近い街ウンソにて。松ジュースと共に。

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