夕方の川越を歩きながら考えたこと
高田馬場駅で僕は友達と別れた。 大晦日に僕は一人で東京を回ることにしようとしたが、書店巡りに行こうとする直前に、駅で川越市の看板娘のCMを何回か目の前に入った。江戸の町並みが見れるだって。川越か。「月がきれい」の舞台ではないか。あの筋肉監督が乙女心を覚えた場所ではないか。
その次の瞬間僕は川越に行くことにした。
電車に乗り、日がもう落ちつつある。
目的地で最初に出迎えに来てくれたのが、強風だった。まともにも歩けず、マフラーが直線になって後ろを向いていた。
それでも、川越の街は僕を拒まず、営業していたお店もまた多かった。
意外と長い古い町並み。大晦日でこんな天候なんだが、どこか鎌倉みたいな雰囲気のお店も多く、観光客も少なくなかった。
包丁の職人のお店。侍の刀みたいに綺麗に並んでいる。中にはビクトリノックスのオリジナルナイフも置いてあった。職人の創造力を考える。
中には師匠と、若い弟子みたいな二人がいて、弟子がしっかり包丁を磨いていたのを僕は注目していた。出る時弟子がすごく礼儀正しく挨拶してくれた。
川越の町並みにある裏路地。映画で出てくるようなシーン。神秘感。
歩いて氷川神社に着いた時はもうすっかり暗くなった。でもようやく来れたな。安曇と茜がデートしてた場所。
人形流しする前に、後ろにある神木みたいな木に畏敬を覚えた。
作法に従い、人形を一枚吹いて、呪文を唱えながら、小さな川に流した。人形は十数センチ漂流して、やがて溶けてしまい、下にあるしろい塊と一体となった。汚れを洗ったのかな。まあ、今思えば、確かに昔のあやふやな申し訳なさと後悔は軽減したと思う。これを経っての十数日間、僕は落ち込んだりしたが、自ら行動をとっていた。
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