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マネーのクズ、クズのマネー

好きっていう気持ちはそう思っているだけで成立するからこそ美しいのであって、ある特定の対象を神様のように祭り上げ、いくら金を遣っただとかどんだけグッズを買ったとか、そういう風に金銭を絡ませて貢ぎまくる行為を愛の表象とみなして、推す、という言葉の元に正当化している有様を見ると、貧乏人の自分なんかはなんだかやるせなさでいっぱいになって、いたたまれなくなってしまって、わっ、と叫び出したいような気持ちにすらなり、部屋を飛び出してブックオフ、他の本棚には目もくれず、110円文庫本コーナーに一目散に駆け寄って、寺山修司や中島らも、筒井康隆、村上龍なんかの文庫本を両手いっぱいに持って、会計もクーポンを駆使してなるべく安く済まし、やった、やった、得した、780円でこんなにいっぱい大好きな本が買えたぞ、などとほくほくして、やっぱり好きなものを好きって実感するのに大した金なんて要らねえじゃあねえか、などと自分の認知にセルフでエコーチェンバーをかけざるを得なくなってしまう。慊りない。って最近は西村賢太の文庫がああいう特価品コーナーにあんまりなくなってしまって寂しいね。あっても「苦役列車」ばかりでそれ以外が全く見当たらない。というか、全体的に自分が高校生の頃見ていたときのラインナップよりも質が落ちている気がする。何をもって質とするかはさておき、自分の好みの作家を大量にまとめ買いできることが少なくなった。ブックオフなのに俺の好きな本ねえじゃん。あと、都内とかデカめのブックオフはあっこに220円も混ぜてきやがる。220円なら110円が2冊買えるな、と、最底辺の自分はそういうケチな思考が働いて、欲しい本でも買わずにおいて、次回来店時になくなってるそれを見て後悔、今日こそ220円も買うぞ、でもやっぱり110円を2冊買ってしまう、というケチの無限回廊に陥ってしまうので、あれはやめていただきたい。

じゃあ自分はそういう風にすべての物事に対して金を出し渋るのか、と言ったら全くそうではなく、例えば酒、通常の貧乏人であればビールを飲みたく思ったら発泡酒、ないし第三のビール、金麦やら本麒麟やらを選択して、その紺や赤の缶を傾け、泥酔酩酊するのだろうけれど、自分の場合はそうではなく、ビールを飲みたいならビールを買えばいいじゃない、っちゅってサッポロ黒ラベルやキリンラガーを鯨飲、泥酔する。そうして酔うたときなんかは特に豪放豪快に財布の中身をばら撒くもので、この前も下北沢で先輩のライブを見たあとの飲酒の際、酔っ払った自分はその箱のバーカウンターの前に陣取り、ハイボール、茶割りなどを次々と飲み干し、自分に遣うだけじゃ物足りなくなったのか、その場にいた他のお客さんやら対バンの方々やらにも酒を振る舞う始末。そのくせちゃっかりテキーラのショットは奢ってもらったりして、やっぱり酩酊して、ご好意で乗せていただいた帰りの機材車で、しっかり音楽を生業にしている/したいと思っている諸先輩方に、オルタナティブロックとはなんなのかを、楽器もろくすっぽ弾けない一音楽ファンの分際で語り散らし、車内の失笑を買うなどしてしまい、次の日、起きたときには家を出る時間ギリギリで、熟柿臭い息とぶくぶくにむくんだ顔面、ほぼすっからかんの財布というほうほうの体で出勤、などしてしまうのであって、これは全くケチではなく、金銭の管理ができない哀れなクソアル中で、全くこの世は金を遣うも地獄、遣わぬも地獄。飲むも地獄、飲まぬも地獄、などと思いながら出勤のチャリ、赤信号で停まって、ふと眼前の景色を眺めると、真っ青な空がなんだか遠くに引っ張られて動いているように見えて、その周りにある不動の高層ビルとの対比に、二日酔いの頭がエラーを起こし、感情がバグって、幸せなのに少し悲しい気分になって、精神の機微がおかしくなって、なんだか今日はもういいや、って捨て鉢の気分で二郎系ラーメン屋、乏しい嚢中から1200円払ってラーメンと豚マシの食券買って、ヤサイニンニクアブラと呪文を唱えて、出てきた山のような豚の餌のようなそれを夢中でかっ喰らい、アル臭漂う自分に汗とニンニクの臭いまで付け足して、それで済めばまだ良かったものの、バッグのなかに入ってた昨日の残りのHOPEを立て続けに2本吸って、おおよそ人前に出れるはずのない最悪の状態になったところで職場に電話、ちょっとお腹痛いんで、って、わー国の首相も使ってた一流のやり方で仕事をブッチして帰路、耳元からZAZEN BOYS、空はやっぱり真っ青で、ずっとじんわりと遠くへ向かっているように思えて、俺はコンビニでエビスビールを買って飲んだ。

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