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しつけが厳しかったはずなのに、怒りで迷惑をかけてしまう高齢者がいるのはなぜか

 SNSをやっていると、公共の場で高齢者が怒って喚き散らし、迷惑だったという意見を見ることがあります。高齢者世代は、今よりもしつけが厳しかったと言われているのに、なぜ公共の場で怒りによって迷惑をかけてしまうのか、疑問に思ったので今回のnoteで考えをまとめてみました。


高齢者に関する矛盾

 まず、高齢者に対する私のイメージを整理します。今の高齢者の方々は、子どもの頃に公共の場での振る舞いを、親や近所の人に厳しくしつけられたと思います。当時は、手を上げることも特段珍しいことではなかったと聞きますので、子どもの人権上の問題はさておき、今よりも厳しくしつけられたことで、公共の場ではひと様に迷惑をかけないことが身に染みているとイメージしています。
 一方で、SNS上でスーパーや役所など公共の場において、我を忘れて怒って周りの人々に迷惑をかけている高齢者がいる、という意見を見ることがあり「公共の場での振る舞いを厳しくしつけられたのに、高齢になって公共の場で迷惑をかける」、という矛盾したイメージを持つようになりました。

「やってはいけない」だけだったから?

 なぜ、厳しくしつけられたはずの高齢者が、迷惑をかける行為をしてしまうのか。私はしつけられた内容が「やってはいけない」だけだったからではないかと考えました。当時は、今よりも問答無用で公共の場における振る舞いをしつけられていましたが、その内容が「公共の場では○○をやってはいけない」だけで終わっていたのではないでしょうか。追加して「ひと様の迷惑になるから」と理由まで教えられたかもしれませんが、重要なことが一つ抜けていたのではないかと思います。それは、「その時感じた不快の感情はどうするのか」です。
 以前のnoteに書きましたが、私は「怒りをはじめとする不快な感じは心に残り続ける」と考えており、不快そのものに対処しないと後々爆発する危険性があるとも考えています。この考えを基にすると、高齢者の方々は子どもの頃に「公共の場ではひと様に迷惑をかけない」よう厳しくしつけられましたが、ひと様に迷惑をかける行動(大声を出したり、走り回ったり)を起こしたきっかけとして、何か不快なことがあったがそれ自体に対する対処は学ぶことができなかった。高齢になり、どこかで感じ積もっていた不快が公共の場における他人とのふとしたやり取りで爆発してしまい、「しつけられたこと」というストッパーも効かず、我を忘れて怒って周りの人々に迷惑をかけてしまう、ということではないでしょうか。

不快の対処を考えたい

 上述した考えが正しいとすると、単に公共の場での振る舞いを学ぶだけでなく、その時々で感じた不快の気持ちへの対処も学べなければなりません。 
 自分の子どもに対する子育ての中で、参考になるような事例があります。最近、我が子が嬉しいと興奮して他人を噛む行為をすることがありました。嚙まれると痛くで悲しくなり、怒ってしまうことを伝えていましたがなかなか噛む行為を止められませんでした。そこで、何か噛みたくなったらチューをするように教えたところ、同じように興奮した時でもチューするようになってケガをさせることがめっきり減りました。嬉しい時の興奮がきっかけで噛んでしまうので、不快とは異なりますが「○○をしてはいけない。理由は○○だからだ。」というしつけだけではなく、「どうしても何かやりたい時はチューにしなさい」という代替方法を学ばせることで、うまく自分の気持ちと行動をコントロールできるようになってきているのではないかと思います。

 皆さんはどう思いますか。

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