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子どもが生まれて1ヶ月で分かったこと

 10月末に子どもが生まれてから、もう1ヶ月が経過しました。この1ヶ月で、子育てを通して色々なことを経験できました。本を読んで得るような「情報としての分かった」ではなく、経験を通しての「実感としての分かった」がたくさんありました。今回は、その中でも特に自分が強く実感して分かったことをnoteにしました。

◯目次
・時間を自分から子どもへシフトする苦労
・際立つ夫婦の違い
・自分がなぜ生まれたのかを知る

○時間を自分から子どもへシフトする苦労
 時間を自分のためから子どものためにシフトすることに苦労しました。今までは、仕事や家事以外の自分の時間を、様々なものに振り分けて使うことができていました。しかし、子どもが生まれてからはそれらの時間のほとんどを、子どもに使うことになりました。使う内容は、オムツを替える、ミルクをあげる、ゲップさせる、泣き止む又は寝るまであやす、とほぼルーティーンで変わり映えはなく、特に「泣き止む又は寝るまであやす」は、毎回いつ終わるのか分からないので、精神的に苦労しています。
 今まで自分のために使っていた時間の内容としては、大概がネットサーフィンで作業としては同じことをしているのですが、ニュースや動画など毎回違う内容で刺激を常に受けている状態に慣れているため、今の子どもをあやすという変わり映えない作業は、なかなか難しいように感じます。

○際立つ夫婦の違い
 現在、育児休業を取得して夫婦で育児をしているのですが、この1ヶ月で夫婦の違いをより明確に感じました。具体的には、「妻は複数作業を注意深くできるが、心配症になる」「夫(自分)は作業を1つしかできないが、心配しにくいメンタル」という違いを感じました。
 妻は、子どもをあやしながらテレビ視聴や会話をすることができ、子どもの顔にできたわずかな出来物や体調の変化に気づくことができます。一方で、様々なことに気づくことからか、常に子どもに関する心配事を持っているような状態です。
 夫である自分は、子どもをあやしている最中にテレビを観ると、「子ども」か「テレビ」か片方にしか意識を置くことができません。また、妻が気付くレベルでの子どもの変化に、自分は妻から言われて初めて気づくことが多いです。一方で、妻の子どもに対する心配事については理論的に考えて、対処法等があればそれほど心配せずに気持ちを持つことができます。

○自分がなぜ生まれたのかを知る
 子どもが生まれたことで、一番実感したことは「自分自身がなぜ生まれたのか」ということに対する肯定的な理由を持てたことです。
 今、目の前にいる子どもは夫(自分)と妻がいなければ生まれることができませんでした。つまり、子どもにとっては私たちの存在が、子ども自身の存在のために必要不可欠だったということです。このことは、自分自身がなぜ生まれたのかという問いに対して、とても肯定的な理由として考えることができます。
 また、この考えを適用すると自分の両親が生まれた理由に、自分自身の存在があるのだとも言えますから、「自分の子ども」と「自分の親」の双方の存在理由に関わっていると思えて、自分自身を強く肯定することができる感じがしています。

 これからも、子育てを通して子どもからたくさんのことを学びたいと思います。

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