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或る私文浪人のほぼ不合格体験談のような合格体験談 最終編(試験本番と総括)

 いよいよ試験本番と浪人期間の総括に入ります。

予想以上に緊張した滑り止め校

 初戦は2/5の明治大学全学部日程だった。難易度的にも過去問を解いた感触でも特に難なく受けられるだろうと思っていたが、妙な緊張感を感じた。同じ緊張感は続く中央大学統一日程、明治大学政治経済学部一般選抜入試でも感じた。その原因は「絶対に落とせない」という緊張感に他ならなかった。現役時代は滑り止めに受かっても行かないつもりでいたので、非常に楽な気分で受験できた。しかし浪人となれば事情は違う。

「滑り止めも受からなかったら終わりだ」

この考えが現役時代にはなかったプレッシャーを生むのである。このことは非常にいい経験になった。このプレッシャーのせいなのか、実際に難化していたのかはよくわからないが、一部やたら難しいと感じる科目もあった。蓋を開けてみれば、明治政経は全学部と一般選抜で両取り、中央法学部も受かっていたので、好調な滑り出しだったと言える。(どうして政経は受かったのに国際日本の全学部日程に落ちたのかはわからないが…。)
 滑り止め受験で大切なことは、あくまでも滑り止めに受かったことで満足しないことである。少しでも満足してしまうと、第一志望へのモチベーションが削がれてしまう。最後まで志望校を目指す気持ちを保ち続けて欲しい。

そして迎える本命受験

 2/9の中央大学統一日程を終えると、次の試験2/16の第一志望の慶應法学部と間が空いていた。その間に体調面・勉強面で調子を整えつつ、2/14の明治政経(全学部日程)の結果を待つという過ごし方をした。先述の通り明治政経には受かっていたので、全落ちの心配はなく本命の慶應法学部を受けることができた。
 本命の慶應法学部受験、昨年と同じ校舎に入り試験開始を待った。そして最初の試験、英語の問題を開始早々目通しすると…

問題傾向が変わっていた

 全く見たことのない形式の問題が出たのだから、過去10年分ほどの対策をしていた僕は大慌てである。多少改善したとはいえ英語はどちらかというと不得意科目だし…。とりあえず解ける問題から取り掛かったが出来は正直微妙であった。
 そこで日本史での挽回を期す。そして日本史の問題を開けると…

めちゃくちゃ難しい笑

 もう酷すぎて解いている途中に笑ってしまった。模試で日本史の偏差値は毎回70を超えていた私だが、まったくわからない問題ばかりであった…
 心の底で若干諦めつつ、小論文を何がなんだかよくわからないまま書き、二度目の慶應法学部受験を終えた。「どちらに転んでもおかしくない」などと思っていた。今思えばこれは自分の中での諦めを前向きにごまかしていたように思う。しかし前向きにならないと残りの試験に立ち向かえない気がしたのも、また事実である。

メンタルブレイクへの道

 慶應法の後は慶應総合政策、早稲田三連戦と続いた。慶應総合政策、早稲田政経はまずまずという印象。そして2月21日を迎える。この日は早稲田商学部の試験日にして第一志望の慶應法学部の合格発表日だった。本来なら早稲田商学部の試験に集中するべきなのだが、二度目の正直となるとやはり慶應法学部の結果が気になって仕方ない。しかし現役時に昼休みに結果を見てメンタルがやられてしまったことを反省し、ホテルに帰るまで見ないことにした。昼休みにきた友人の慶應法学部合格の報告は素直に祝った。
 そしてホテルに帰りパソコンを開く。そこには無情な三文字。

「うん、まあそうだよな。今まで何やってきたんだか。」

無理に上向かせていた気持ちが吹っ切れた。その場でベッドに倒れた。ベッドの上で親には結果を伝え謝った。親しい友人にも結果を伝え、Twitterにも結果を投稿した。ぼーっと過ごして1時間くらい経ってお腹が減ったので、ご飯を食べに外に出ることにした。何を食べようか考えて、受験生最後の晩餐ということでホテルの向かいの家系ラーメン屋に入った。実は11月くらいからラーメン禁をしていたので、久々のラーメンだった。(高校時代の先生に糖質脂質が多いので受験期間の食事には向かないと言われていたので)
 その店の評判はよく知らないし、今思えば早稲田周辺のラーメン屋の方がよっぽど美味しいのだろうけども、久々のラーメンは美味しく感じた。
 翌日の早稲田大学社会科学部の入試を以て浪人一年目の大学受験は終了した。社学の手応えもまずまずといったところだった

最後の最後まで…

 入試が終わるとそれまでとは打って変わってリラックスした生活を送っていた。まず念願の新しいカメラを買い、早速使い始めていた。
 まず、2/25の慶應総合政策の発表を見る。

「あれ、不合格…」

 英語の手ごたえがそこそこよかったのに落ちていたのである。心配になって河合の解答速報で答え合わせをするとなんとも無残なことになっていた。ずっと自分に根拠のない自信は危険だと言い聞かせ続けてきたのに、最後に根拠のない自信で突き進んでしまったのである。
 ついでに早稲田の答え合わせもした。政経と社学は微妙、商は期待できる正答率であった。
 その日の夜から大阪へ行き、久々の旅行を満喫した。もちろん結果も大阪で見ることになる。政経は不合格だったが、英語が無残だったので案の定としか思わなかった。
 そして翌日の商学部発表。電話できる環境になかったのでWeb発表を待つ。すると…

自分の番号がない

 期待できる正答率だった商学部に落ちていたショックは大きかった。社学が期待できなかったので早慶全落ちを覚悟した。
「ああ、二回やって去年と同じ結果か…」
予備校の講師や高校の元担任の話も聞きながら自分なりに考えて一年間戦った結果が、付け焼刃の現役時と一緒というのは流石にしんどい。Twitterやインスタで病み散らかした(笑) 親からは決めつけずに社学の結果も待ちなさい、とは言われたがそんな余裕はなかった。ほぼ放心状態で次の日を迎えた。
 2019年3月2日、関西滞在最終日。天気は快晴ということで朝から阪急電車にカメラを向けていた。兵庫県の御影駅から塚口駅へ向かう阪急神戸線の車内で合格発表の時を迎えた。最初は見たくなかったが、浪人失敗の瞬間をこの目で見届けようと思い、Web発表を開いた…

「あ、自分の番号ないじゃん」

というわけで早慶全落ち…、という事実を信じたくなかったので母親に連絡し受験番号を再度確認してもらった。すると社学の受験番号を間違って覚えていたことに気が付く。そして再度確認すると…

「え、あるじゃん!?」

目を疑ってしまい何度も確認したが、やはりそこに自分の受験番号があった。めでたく合格である。思わず車内でガッツポーズをしてしまった。(きっと周りの乗客には「なんだこいつ」と思われたに違いない)
 Twitter、LINE、インスタとあらゆる手段で合格を報告した。たくさんの祝福のメッセージをもらった。
「最後まで結果はわからない」
「最後まで自分を信じるしかない」

 よく激励メッセージで聞く言葉の意味をようやく理解した。
 その日の夜行バスで帰宅し、寝不足の分を昼寝で補っている間に早稲田から書類が届いた。「本当に早稲田に受かったんだ」とそこで初めて実感したのであった。

総括

 僕の怠惰のせいで長期連載になった浪人体験記もようやく終わりです。各種受験サイトで見られるような輝かしい受験体験記には程遠い内容ですが、そんな華々しい受験をできる人はほんの一握りです。僕も早稲田社学に受かっただけ良い方で、予備校の仲間や高校同期で浪人した仲間には苦しい結果に終わった人が少なくありません。悲観のし過ぎもよくないですが、厳しい現実と正面から向き合わなきゃいけないのが受験です。そうしたなかで最後まで自分の戦いをしていけばより良い結果が見えてくるでしょう。
 今年でセンター試験が終わり来年から試験制度が変わりますが、受験の本質は変わらないと思います。1年間自分の武器をしっかりと研いで戦う、それだけです。
 この体験記を読んだ受験生の健闘を祈って、受験体験記を終わりにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

前編(浪人するまで)
中編(冬休みまで・その1)
後編(冬休みまで・その2&受験校決定・直前期)

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