見出し画像

或る私文浪人のほぼ不合格体験談のような合格体験談 前編(浪人するまで)

前書き

 浪人を決めてから早一年。なんとか早稲田大学 社会科学部に合格し進学できることになったが、何かと反省と教訓の多い浪人生活となったと感じている。この1年間で得た多くの教訓と反省にほんの少しだけ成功談を交えて僕の浪人生活を総括しておこうと思う。
 結論を先に言えば「浪人大成功」とは言えない結果であり、予備校のパンフレットに掲載されているような輝かしい内容のものではないということをお断りしておきたい。誹謗や中傷(例.「イキるな」「雑魚」など)も覚悟の上である。
 しかし受験で大事なことは「現実を知る・見る」ことであると痛感した。だからこそより僕の失敗談をこのような形で伝え、これから浪人を考えている人や大学受験を迎える新高3の役に立つことができたらいいな、と考えている。

現役時代の経過

 神奈川県でも随一の進学校(中高一貫)に進学した私だったが、中3から高二にかけて中弛みとある悩みに陥り、勉強へのモチベーションを完全に喪失してしまっていた。その悩みの主な原因は「大学に行ってやりたいことがないこと」だった。こ目的もなく大学に進学するくらいなら受験しないほうがマシだとすら考えた。(この考えは進学先が決まった現在でも持っているし、なあなあで大学生になることような考えをとても嫌悪している。)
 しかし高二の後半から徐々にモチベーションが復活する。受験期が迫る中で以前から興味のあった報道分野に進むことも視野に入れ社会学系、特に政治学を学びたいと考えるようになり、その系統の大学を志望することにした。しかし勉強を完全にサボっている間に英語で相当後れを取っていた状況で、その挽回が急務となったため、分野ごとに得意不得意の落差が激しく成績の安定しない数学を諦め、私立文系を志望することになった。後に予備校に入ってから出身校を言うと驚かれることが多かったが、僕は所謂落ちこぼれであったのである。(その都度「底辺だけど」と断りは入れていたが…)
 落ちこぼれの癖に進学校にいるという無意識の自覚からなのか、身の程知らずにも慶應法学部を第一志望に設定し受験学年の高三に突入した。高三以降の猛(?)勉強の甲斐あって、英語の成績は高三秋頃には河合全統記述で偏差値65は出せるようになっていた。しかし付け焼刃の勉強であったことは否めず、長文の読解処理と文法・語法や語彙の運用には難がある状態であった。幸い国語と日本史の成績が高水準で安定していたため、それによる挽回を期して早慶とMARCHを受験した。

現役時代の戦績と浪人決断まで

 では現役時の受験校と戦績を見ていく。(順番は試験日順)
・立教大学法学部 政治学科 不合格
・中央大学法学部 政治学科 合格(統一3教科)
・明治大学政治経済学部 政治学科 合格(一般選抜)
・慶応義塾大学商学部 B方式 不合格
・慶応義塾大学法学部 政治学科 不合格
・早稲田大学文学部 不合格
・早稲田大学政治経済学部 政治学科 不合格
・早稲田大学商学部 不合格
・早稲田大学社会科学部 不合格
※センター試験は受験せず

 見事なまでの早慶全滅だが、世間的に見れば十分と言われる結果であろう。高三春は英語偏差値50台でスタートしてこの結果であったのだから尚更である。普通ならば黙って明治か中央に進学するだろう。もちろんそれも考えた。しかしここで進学か浪人かで激しく葛藤することになる。進学すれば受験勉強から解放される。しかしここで妥協していいのか、何かとコンプレックスを持っている自分が学歴でまでコンプレックスを抱えて生きていくことなんてできるのか(所謂学歴コンプ笑)、あと少しで早慶に手が届いていたという感触があるのに諦めていいのか―――
 悩み抜いた結果、母親が浪人経験者であったことと、進学校故に浪人は珍しいことではないことに背中を押され、1年だけ浪人しもう一度早慶を目指すことを決意する。高校卒業式の数日前に河合塾横浜校「早慶上智文系アドバンスコース(通称:早慶アド)」に申し込んだ。現役時頑張ったおかげで様々な割引が効いたので「現役時の頑張りも無駄ではなかったな」と思ったし、家計負担が多少減らせたのは親不孝な浪人決断の中でもちょっとした親孝行だったのかもしれない…。

続き→中編(冬休みまで・その1)
   後編(冬休みまで・その2&受験校決定・直前期)
   最終編(最終受験結果と反省)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?