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父を看取る:1年後の記録。来月の一周忌を前に

こんにちは。みどりです。
読みに来てくれてありがとう♡
今日は看取りについて。

昨夏、父が亡くなった直後。
自分自身の気持ちの整理も兼ねて、
SNSで看取りに関する投稿を重ねていました。

この看取りシリーズ、お陰様で、
ホントにたくさんの人が読んで下さり、
いいねやコメント、直DMが、
当社比3倍以上になりました。

リスペクトする先生方からも、
直コメントや直DMで
励ましやねぎらいとともに
おほめの言葉が複数届き、
とても光栄でした。

その反響の多さに、ありがたくも、
心底、ビックリしたことを
懐かしく覚えています。

先日、ふとした時に聞いた、
その当時の投稿のこと、
よく覚えているという
仲良しさんの一言にも驚かされました。

一年たった今も、
覚えててもらえるほどの文章を書けたんだな
と、すごくうれしかったのです。

看取りシリーズの投稿をするのは
自分の気持ちの整理が第一義だったけど。

その次の理由が、これから同じような
経験をする人のヒントになれば
と思う部分が強かったからです。

そしてもう1つの理由が、
既に同じような経験をしている方にとっても、
何かお役に立つことがあれば
と思っていたから。

今は他人事のように
感じる方もいるかもしれないけど。
肉親や家族との別れは、
多くの人が経験することです。

中には大切なペットちゃんとの別れ
という方もいることと思います。

多くの人が必ずと言っていいほど
経験することだからこそ。

来月の一周忌の法事まで、約ひと月。

そして、何故だか、ここしばらく。
父娘関係について
再考する機会が増えていた。

あたしなりに、もう一度、書いてみよう。
そう思い始めていた、この数日でした。

これまでの過去ログを、
都度都度、リンクさせながら
書いていきますね~。

まず一つ目。
インスタの過去ログから↓

相談員として経験することと、あたし個人として経験すること

自己紹介でも書かせてもらいましたが、
あたしの土台は医療福祉系の相談員職です。
あたし自身はソーシャルワーカー
と名乗ることが多い。

あたしが現場に出た頃は、
ギョーカイ人でもソーシャルワーカーって
仕事名に馴染みがないほどでしたがwww

最近では学校にも
スクールソーシャルワーカーが配置されるなど、
ずいぶん、一般的になってきて。
仕事名や資格名の通りが
良くなってきて助かっていますww

参考資料↓

ガチの医療畑の人間とは違うけど。
一般の方よりも人間の人生や
内面に深くかかわる職種ゆえ。

現場にいた頃は患者さんの
(ご利用者さんやクライエントさん
って言い方もあります)
生死に関わることがある職業とも言えます。

そのあたり、
一般の方とは、少し感覚や経験が
違うのだなと思うことも
よくありました。

とはいえ、患者さんの死に向き合うのは、
なかなか慣れることができなかったな~。

たまに、あたしが色んな事ごとに
意外なほど驚かず、
淡々としているのを見て、
ギョッとされることがあるのですがw
(基本はむちゃくちゃビビりだけどねwww)

ソーシャルワーカーやってると、
色んな経験が出来るし、
色んなご相談事があるので。

見た目の印象よりも、
たいていのお話は
受け止めれられることが
多いのかもしれません。

でね、分かっていたけど、
相談員として経験することと、
あたし個人として経験することは、
明らかに別物だなと思うのが、
父の介護であり・看取りでした。

うちの母も民生委員を2期やっていた人間で、
地域福祉のキーパーソンとして、
結構、名が知られている人wwなのですが。
(県の方からお声がかかったりするらしい)
(退任後はめんどくさがって断ってるけどw)

仕事でやることと、
自分個人としてやることとは、
全く別物だよね(;^ω^)と
何度も苦笑いしつつ、
言い合ったものでした。

仕事としてやる方は、良い意味で
仕事だからと客観視できることもあるけど。
(できないこともあるけどさ~ww)

個人として家族や
自身の課題として向き合っていくのは、
急に我がことになるからだと思う。

生きている内に○○しておけば良かった!と言いたくなかった

あたしは父娘関係が複雑でした。

うちの父はモラハラが
DVレベルに達しているタイプの人間で。

しかも発達障害傾向と難聴があり、
人との会話がなかなか成立せず。

家族だけでなく、仕事を含めた
あらゆる人間関係でトラブルや
バトルを引き起こすような人でした。

人の心や感情を考えることが
全くできないのです。
そのあたり、ソシオパスなんじゃねーの??
と思うこともありましたwww

ソシオパス、あえて参考資料貼りませんのでw、
気になる方はご自身でお調べ下さいww

このあたりのこと、
生前に父にも母にも何度も確認をとり
WEBに載せていいと言われていたので、
思いつくままに全部正直に書いています( . .)φ

だから、どう考えても、生きている間に
父と理解し合うなんて見込みがないだろう
と分かっていたことでした。

そもそも理解し合うなんてことが、
間違いだったのかもしれないけどね。。。。

全ての人と理解し合うことは、
難しいことだし。
だからこそ、大切な人とは、
理解し合いたいと思うタイプなんだけど。

その全く理解し合えない人が、
たまたま、あたしの父だっただけ。

あたし自身も幼い時から多面的であり、
複雑で・理解されにくい性質を持っていて。

大人から見て、
はっきりと子供らしくない部分を持ち、
明らかに育てにくい子供だったと思う。

実際に母や学校の先生からも、
そのように言われていました。
幼い時から、長い間、病弱だったから
手もかかりますしね。

それでも、互いに理解して欲しい
理解し合いたいと思いながら、
いつもすれ違ったままの父娘でした。

でも、もしかしたら、
無理かもしれないと思いつつも、
これが最期のチャンスだから、と
あたしは考えていたのでしょう。

最期まですれ違ったまま
終わってしまったけど。
あたしなりに精いっぱいやったと言えるし。
(母に比べたら、何ができたんだろう?と思って仕方がないけど)

父が生きている内に○○しておけばよかった!
という思いは、全く
と言っていいほどありません。

あたしなりに
心残りなくやることができた思う。

父が意識不明状態に陥り、
これで最期かもしれないと、
母やあたし、弟一家で
代わる代わる病院に見舞いに行った時。

痛みだけを訴えるようになったので、
モルヒネ系の強い痛み止めを
常時使うようになった結果、
混濁した意識状態が増えていきました。

つまり、ほぼ話すこともできず、
眠っている時間が増えたのです。

その束の間、ふと目が覚めた父が、
あたしの手を握ったまま離さず。

もう一度、意識不明に陥るまでの、
10数分の間、
言葉を発することもできない父の目に
じっと見つめられていた時間を、
今もはっきりと思い出すことができます。

あれだけ弱っていたのに、
あたしの手を握る
父の手のチカラは強かった。

父の目をあんなに
じっくりと見ていた時間は、
生涯であの時だけだったかもしれない
とすら思う。

その後は、もう、
父の意識が戻ることはありませんでした。
それから約1週間ほどで亡くなりました。


あの10数分の間で、
何かが取り交わされた。

言葉ではない何かが。

そう思えると、その10数分で
理解し合う・赦し合うということが
できたのかもしれないとすら思うのです。

あたしの勝手な解釈かもしれないけどねw

やらずに後悔するより、精いっぱいやる。

父と向き合い・父の病を看る過程は、
あたしにとって大変だろうということは、
初めから分かっていました。

それでも、母だけに任せるのは忍びない。

あたしはシングルだし、
自由に動ける時間も捻出できたから、
少しでもできることをしよう。

父の病が分かった約4年前にそう決めた。

それは、これまで残してきた
父娘関係の総決算作業とも言えるものでした。
正直、非常に苦しかったし、
追い詰められたことも沢山ありました。

病を得る前でも大変な父娘関係だったのに、
それを大きな病と向き合いながら
やっていく過程だったからです。

介護や看取りは、
これまでの関係性や心的課題が
濃縮されて噴出します。

それでも後悔したくなかったから。

大変なのは分かっていた。
それでもやると決めたんです。

そこにあきらめる
という選択肢はありませんでした。

結果、それで正解だったと思う。

あの最期の時間に取り交わされた何かは、
きっと、あたしなりに
必死に取り組んできたからこそ、
感じ取れたものだと思うから。

やらずに後悔するより、
その時にできることを
精いっぱいやる。時に苦しくても。

たとえ上手くできなかった、でもいい。

精いっぱいやったことが、
あたしの経験値として
積み重なっていくからです。

現在進行形で家族の介護や看取りに向き合っている方へ

元ソーシャルワーカーのはしくれとしても、
あたし個人としても、お伝えしたいこと。

それは頑張りすぎないで下さい。
ということです。

父を送ってから
何度か母と話していたことは、
あたしたちは頑張りすぎてたよね(;''∀'')
というものでしたww

この1年は、頑張り過ぎて
削り尽くしてしまった自分たちを、
ゆるやかに回復させるような
時間だったと思います。

でも、それも今になって気が付いたこと。

当初は、頑張りすぎていることに
気が付かなかったし、
気が付いて母娘で
互いにストップをかけても、
止まる方法を忘れてしまっていたような感じ。

今、現在、ご家族の介護や
看取りに向き合っている方には
まずは自分を守って欲しいと思う。

自分がツブレてしまう
わけにはいかないからです。

そして、既に
同じような経験をされた方へは、
どうぞ、心安らかな日々を
過ごされていることを祈ります。

一生に一度の大切な経験をされたのだと思う。

その経験を、
その思いを
大切にして欲しいと思います。

介護にも・看取りにも
一つとして同じものはないし。
正しい答えというものはありません。
教科書通りになんかいかなくて当たり前。

あなたさまが経験したことが、
1つの到達点だったのだろうと思います。

もし、今、そう思えなかったとしても、
その経験と向き合っていく内に、
きっとそう思えることと思います。

その過程すらも
大切にしてほしいなと思います。

それがモーニング(moaning)ワークと
呼ばれるものだからです。
日本語で言うならば喪に服し、
大切な人を悼む時間ということです。

最後まで読んでくれてありがとう♡

久し振りに父の看取りに
関する投稿をまとめました。

この数か月、色んなことがあったけど、
それもこれも
父娘関係の大清算の結果だと思う。

大変なことも
たくさん・たくさんあったけれど。

それが昇華されれば・されるほど、
天に還った父に届くだろう
と確信できます。

そして、それが、
少しずつ良い方向に
進み始めていると思える。

そこに目に見えない何かの
後押しすら感じる時があります。

別にそれが目的じゃなかった。

良い方向に進みたいから、
見えないモノの後押しが欲しかったから
やってきたことじゃありません。

ただただ、目の前にあることに目を背けず、
自分のできることをやろうとしただけ。

出来なかったことも多いけど、
やりきった!という
達成感が残っているだけなのです。

それが大切なのではないかと思います。

最後まで読んでくれてありがとう♡
重い内容も含むだろうに、
ここまで読んで下さったことに感謝します。
また拙noteに遊びに来てね。

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