良師を探して、軸を確立し、試練に体当たりせよ:tweetまとめ
TwitterのUさんが、今日リツイートしていたtweetスレッドが、あり方やこれからを考える上で有用なので、こちらにまとめます。
見出しと、必要があれば、コメントをつけます。
人は見たい世界を見る
時が来たら、変わらざるを得なくなる
笑顔でいよう!
自分なりにできることをやろう、それがどんなに小さくてもいいじゃないか
動物には、人間の心が見えている
運命は常に、人を育てようと試練を与えてくる
※執行草舟は『超葉隠論』で、ミゲール・デ・ウナムーノ『生の悲劇的感情』の「不幸の底から、新しい生が湧き出づるのだ」を引用して、こう述べている。
"魂の成長とは、一つ一つの不幸を克服していく過程のことを言う。不幸は、人間として成長していくために与えられている。
だから、全く成長をする気がない者は、ほとんど不幸に見舞われることはない。安穏で安楽で平板な、物理的時間の経過を送るだけとなるだろう。不幸に負ける者は、意志をもった人間としての人生を送ることは出来ない。"(執行草舟『超葉隠論』実業之日本社、2021、p,154-155)
執行は一人の人間の魂の成長という文脈で述べているが、これは「運命の出会い」のような関係においても、当てはめられる。
この後、しばらく続くUさんの「運命の出会い」を巡る一連のtweetと執行の言葉を重ねてみると、同じ響きを感じないだろうか。
Uさんは男女の恋愛をメインに語っているが、「運命の出会い」はそれに留まらず、友人関係、師弟関係、親子関係という形もある。
少なくとも、自分が全く変わらず、甘えたところのあるままでは、「運命の出会い」は起きないか、仮にそういう人に出会っても、ちょっとした困難が出ると、逃げてしまうことが起こる。
不幸や人生の困難に体当たりするのは、大事です。それが、この世を生きる醍醐味の一つではないかと思います。
運命の男は揺らがず、運命の女は逃げない
運命の男を見定める方法
運命の女の見定め方
お客さん思考では、運命の人には出会えない
※恋愛関係なく、「確実に受けとめられる大人」を目指してもいいかもしれないと思いました。
受け止めるのと、何でも甘やかすのは当然、違う。
信頼関係ができていることを前提に、相手に厳しい指摘をした際、相手が難色を示したり、離れたりしたら、離れるままにしましょう。相手の成長を願って指摘しても、相手が受け入れられないというのはある。私は数回、穏やかに、かつ多方面から指摘しても、相手が無視したり、話題を変えたりするようであれば、距離を取ります。断絶はしないが。
ただ、人としての矩を超えた人に対しては、言葉でも行動でも厳しく接します。相手が離れることは、覚悟の上です。
きっと、Uさんも、そういう試行錯誤を何度となく、繰り返してきた人なのでしょう。
前世紀までの貴重な存在
今は父親ですら、子どもをまともに叱れない
※私は、父からこういう意味での人生の指導を受けたことはなく、自己流の試行錯誤だった。兄を見ていても、彼が自分の子どもたちにそんな指導をしているようにも見えない。
勉強ややるべきことをやらないことでの小言は言うけれど、子どもにとって、人生の指導というものを、兄はしているのか、非常に疑問である。なので、私は時々、機会があれば、ソフトな言い方で、そういう「指導」をするようにしている。
今の時代に良師を探すなら?
※今も、縁がないと出会えないのは変わらない。ただ、多量の情報に、自分にとっての良縁が埋もれてしまうことが、現代の特徴かもしれない。自分の人間性を向上させ、見る目を養わなければ、縁をつかむことはできない。必要なことはやってくる。だが、準備ができていなければ、目に入っても、素通りしてしまう。
軸を確立せよ
子どもの頃から、歳の離れた人間とも、腹を割って話す場があるといい
※ある程度人数のいる教会は、赤子から90~100歳ぐらいまで、満遍なく、あらゆる年齢の人がいます。
実際、私の所属教会はそうです。今の教会に移って、10年ぐらい経ちますが、一癖も二癖もある人々と接してきたおかげで、コミュニケーション能力も人間としても、成長させていただいたと思っています。もちろん、初めてぶち当たった時は、苦悩し、怒り、理不尽に泣いたことも一度ならず、ありました。それも含めて、全部、糧となって、今の私があります。
教会に行く必要はありませんが、こういう場を積極的に求めるのはいいことです。
教会は、不必要に負担が増えることも懸念されるので、私自身はオススメしないです(笑)
文化活動や習い事は、異業種交流の場にもなる
生涯学習として教える側に回る
※足つぼマッサージを教える小セミナーでもやって、「自分の健康は自分で面倒を見る」ことが身に着けば、病院の待合室をサロンにするような人を減らせるだろうし、医療費の逼迫も抑えられるのではないかと考えている。
指導する側にならないと、見えてこないことも多い
※これは同感。聖歌隊で、指示を出す側、指導する側に回った時、一隊員だった時には見えなかったことが見えるようになった。
( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 ( ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊