見出し画像

前提が変わると、見えなくなるものがある

公務員の求人を勧められて

 ある教会員から、公務員の求人を勧められました。

 それに対して、私はこういう趣旨の返事を送りました。

 「私の性格も考え方も見ているものも、公務員と真逆であり、ストレスの方が大きい。家族は公務員だが、自分が公務員になりたいとは、思ったことさえない。魅力も興味も感じない。」

返事

そして、以下のような返事を頂戴しました。

 箇条書きにします。

あなたは、公務員への認識が一般的な方と少しずれている(本当は「かなりずれている」と書きたかったのではないかと推量しています)
自分が公務員を勧めたのは、よほどの事情がない限りクビにされない安定した職だから
40過ぎたあなたの経歴では、正社員の職はない。しかるべきキャリアの人にしか、そんなことはない

私の経歴はこういうものです。

・新卒入社後4年で辞めている
・学部・大学院での専門性を活かした仕事ではなかった
・退社後ブランクが長い(これは、最初の会社を辞めて、二社目に入るまでの4年間を指していると思われます)
・企業の求める資格・技能が無い
・現時点で40歳を越えている

 ↑これは、人事の人から見たら、当人に何らかの資質上問題があった(例えば、メンタル的な問題で辞めたなど)と推察します。たとえ、それが、本人の落ち度ではなかったとしても、です。

 ※理不尽ですよね、本人の落ち度ではなかったとしても(パワハラ、セクハラ等)、再就職の際には、それがあたかも本人の落ち度や資質の問題として見られるのですから。

 こういう御経験をされた人は、自国民を大切にしない日本社会では多いのではないかと思われます。

 続けます。

・自分が仕事や会社を選ぶのではなく、雇用する側が、自分の組織で必要な人材であるかどうかを判断するということを肝に銘じてほしい
・公務員枠なら、試験にパスさえすれば、経歴上の問題があっても、選考してくれるし、採用されれば安定した身分が保障される
・能力主義なので、能力のない人は採らない
・かなり高倍率だが、現状、(どこかの組織に勤めるという前提なら)公務員が最適解
・やりがいが感じられないなら、普通は山ほどある公務員志望動機のやりがいを集めてみては?

返事をもらっての印象

 言っていることは客観的かつ的確です。

 「この可能性はない」と明確に言ってくれたことも、ありがたい限りです。

 その方面を探す無駄が省けたわけですから。

 この方の言われたことは、「就職する」という前提の話なら、異論はありません。

最初から除外されている選択肢

 しかし、起業、個人事業主、投資といった可能性は全部除外です。

 FIRE(Financial Independence, Retire Early経済的自立、早期リタイア)の可能性もない。

 おそらくこの人は、これらについて、知らないと思われます。

 「就職する」という前提しか採用していないから、

「あなたの道は二つしかない。一つは、やりたいことを出来るように(そういう職場から採用してもらえるよう、そしてキャリアの不備を補える程度に)スキルアップする。もう一つは、やりたいことを優先して、非正規での応募を続けるか、である。」

 という結論になるのです。

その前提は正しいのか?

 さあ、「就職」以外の前提はないのでしょうか?

 もっと言えば、「仕事とはお金稼ぎである」という前提は正しいのか?

 貨幣経済を迂回する選択肢はないのか、不換紙幣を出来る限り使わない選択肢はないのか?

 こういう疑問も、「就職する」という前提が見えなくさせてしまいます。

 「なぜ就職するの?⇒生活にお金が必要だから⇒そのためには、安定した職が望ましい」

 これが、完全に誘導された思考パターンなのは、おわかりでしょう。

 この発想が、「仕事」を巡るあらゆるところに根を張っています。

 以前に書いた、求職支援制度についての記事でも、それに触れています。

自然界に安定や保障はない

 もっとも、「安定した職」というのは幻想であり、作話です。

 これが本当の安定です。

 いわゆる「安定した職業」「安定した生活」は、まがい物の安定です。

 自然界には、そもそもそういう意味の安定や保障はありません。

 さすがに、今回、公務員を勧めてきた教会員に、「安定など、自然界に存在しない幻想ですよ」とは言いませんでしたが、言ったら、完全に、狂人認定されたことでしょう(笑)

おちゅうしゃを渇望する前提

 今回の件は、地球の様々な「嘘」の一つの縮図だとも感じました。

 例えば、こういう前提を持っている人がいたとしましょう。

前提:病気になったら、医者に行って、薬を処方してもらったり、注射を打ってもらったり、手術をしてもらうことで、治療・回復に努める

 これであれば、何か不調を抱えた場合、「自分で何らかの方法で治療・回復する」とか「医者・病院以外の手段、ヒーラーや木に治療してもらう」「儀式をして治す」という選択肢は全部、見えなくなります。

 「消える」というより、盲点となって「見えなくなる」。

 最初の設定・前提が「不調があれば、病院・医者行く」だからです。

 そして、本来であれば、不必要な薬や注射・手術をして、余計に体の免疫力が低下したり、最悪、死んだりすることもある。

 しかし、「不調があれば、病院・医者行く」の前提が強すぎると、「治療」による副作用で、体がボロボロになっても、「治療過程」と解釈するようになります。

 前提がそうなので、そうならざるを得ません。

 「自分の健康は自分で面倒を見る」という前提で考えている人からしたら、狂気ですが、前提が異なると、物事の解釈がこのように変わるのです。

神様の言葉に反することはあり得んのです!

 以前、ガンの治療で、重曹水を一定期間飲み続けたら、快癒した話をどこかで読みました。

 しかし、「真面目に」抗がん剤治療を受けて、体がボロボロになっても、「医者・病院が不調を治してくれる」という前提があると、「少しずつガンがなくなって良くなっている」という作話をして、自分の身体に起きていることを正しく見ることができないだけでなく、「西洋医学以外の選択肢」があることすら、わからなくなります。

 思いつきもしない。

 「重曹飲めば、いいんだよ」と言われても、「そんなことあり得ない。そんなにいいことなら、医者やTVが言うはずだ」と遮断してしまう。

 認知的不協和です。

今回の件で得た気づき

 話を就職相談に戻す。

 今回、言われたことは、「貨幣制度社会における就職」という前提なら、その通りで、完全に、相手の言う通りだと思います。

 私はそれに対して、何ら、ネガティブな感情を抱いていません。

 それどころか、最初から「ない」可能性を指摘してくれたことに、感謝もしています。

 無駄なところを探さなくて良くなったわけですから。

 また、「就職」「安定した職」「公務員」というものへの、私の捉え方が、一般人とズレているとお墨付きをもらえたことも、良かったです。

 「あ、やっぱりズレてるんだな(笑)」と思いました。

前提の違いが見えず、一方的に自分の前提を無自覚に押しつける

 このズレが生まれるにいたる私の人生航路があります。

 そして、それは、この彼に説明しても理解できないだろうと思いました。

 彼は、「あなたは、一般人とここがかなりズレている。現状、就職という前提なら、公務員が最適解。そのためには、こういう風にズレを埋める必要がある」と言っているわけですが、これ自体が、そもそも、あり得ないのです。

 私に自殺しろと言っているようなものです(相手に自覚はありませんが)。

 というか、左脳の合理的解釈が強すぎて、ハートがないのかなとすら、思います。

 実際は穏やかな人ですが、ハートが働いていたら、こういう風には言わないでしょう。

 そもそも、ここにいたる私のプロセスを見ようとせず、自分の前提以外の見方があることすら、考えようとしない人が、一体、何を見ているのでしょう。

 聖書に限らず古典を読むというのは、自分の前提が覆される経験をすることでもあるのですが、どういう風にしたら、自分の前提を無自覚に押しつけるクリスチャンになるのか、理解しがたいです。

 こういう人に、互いの前提の差を指摘し、なおかつ、どう違うかを理解してもらうのは、非常にむずかしい。

 そもそも相手が、自分の前提と見方と情報を全く疑っていませんから。

 世の中の嘘に気づいて、前提を疑ってきた人たちは、少なくとも、一度はこれをしているわけです。

 私もです。

 そういう人は、自分の前提・見方・知識に、100%の確信を持つのではなく、1%ぐらいの疑念は抱いているでしょうし、また常に違った見方に開かれているはずです。 

限られた前提からしか見ない人の心配は考慮に値するのか?

 白い画用紙があるとします。

 右下の隅が黒く塗りつぶされていると思ってください。

 そこが、私にはない可能性です。

 彼はそういう風に、明確にしてくれて、この点は、とてもありがたいと思っています。

 しかしながら、物事の根本的な前提が、著しく違うことも、今回の件でわかりました。

 この人は、大学教員で、就職・転職の世話もしていて、いろいろ情報収集をされています。

 でも、前提(「就職する」)が非常に狭いので、「いろいろ情報収集」も、一種のバイアスがかかったものになっている自覚がありません。

 他の前提、他の選択肢が最初から除外された上での、情報収集とは、果して、信頼できるものでしょうか?

 そういう情報収集をしている彼から見て、心配になって、私に一言申し上げたと述べていました。

 彼の前提から見れば、心配になるのは理解できることです。

 同時に、世の中の、「世の中のことは少しはわかっている」と思っている人たちの見方も同様でしょう。

 枠珍打ったり、プーチンが暴走しているとか信じている人たちの心配ですよ。

 本当に信頼できるのでしょうか?

 彼らを信頼して、ウクライナに寄付したり、おちゅうしゃを打つべきでしょうか?

 本当?(笑)


 「なんでプーチンの話がいきなり出て来るんだ」と思われたでしょうが、相談をした相手のメールの最後に、いきなり出て来るのです。

 「就職するのはあなたなので、これ以上は申しませんが、プーチンと同じで状況判断を誤り、引くに引けなくなるよりはよいかと思い連絡しました」

 最初、この一文を見た時、「なんでプーチンが出てくるんだ?あ、ああ今の「映画」の話と重ねているのか。この人、ここでも、私と前提がズレているんだな」とわかりました。

 ウラディーミル・プーチン大統領と重ねられたというのは、光栄に受け止めればいいのでしょうか。

プーチン大統領

 「プーチン大統領と重ねていただき、大変、光栄に存じます」と返事したら、絶句するかもしれません。

 とはいえ、プーチンはKGB出身ですから、もしかすると、人を一人や二人消したことはあるかもしれませんが、私は魔法使いではないので、そんなことはできません(笑)

 もっとも、通常であれば、ネガティブに受け止めてもおかしくない話を、考察対象とし、違う話にしてしまうという点では、魔術師なのかもしれませんが(笑)


( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 (  ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊