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自給力をつけるとは?

不換紙幣を使えば使うほど、選択肢を作る力が落ちる

 昨夜、NHKの物価上昇についてのニュースを、チラ見しました。

 物価上昇の中、いかに値上げに踏み切るか、価格を据え置くかで悩む企業の姿が報じられていました。

 一所懸命なのはわかるが、「不換紙幣を使うと観察力が落ちる」「選択肢を作る力が落ちる」を、まざまざと感じました。

 これは以前、ある人に指摘されて、確かにそうだと実感しました。

 不換紙幣、つまりお金を使うと、「それはあなたに不要だよ」というサインが見えなくなります。

 むしろ、「これは俺に必要だよ。それはこういう理由からだ」という作話、嘘を自分に吐くようになります。

 また、自分の意志で選んでいるようでいて、誰かから選択肢を与えられていることも、見えない、見ようとしなくなります。

 同時並行で、「自分ならどうするか」「買う以外に何か方法がないか」と、他の選択肢を考える・作る力も落ちます。

 そして、気づくと、何か問題があると、金を使って解決するという一択しかできない人間に成り下がります。

 そして、私のように、情報商材にフラフラと手を出してしまうことも起こる。

 情報商材販売者は、人々に現状維持しか教えないのに、これで学ぶと、何か自分が変わるかのような、変わったかのような錯覚を起こします。

 「金を使う」一択になっているため、詐欺的な手管が最初は見えません。


 この社会、全く金を使わないでいることはむずかしいですが、「金を使う」ということが、いかに私たちの力を削いでいるか、全く知らないで来たので、初めて気づいた時は、愕然としました。

価格と「買う」以外が見えなくなる

 映っていた企業は、価格をどうするかにフォーカスし過ぎていて、それしか考えられなくなっていました。

 根本的なことはこれではないのに、貨幣経済に深く捉われているから、もうこれしか解決策が思いつかない。

 これは、個人レベルでも同じだなと感じました。

 食べ物を「買う」以外の選択肢(作る、拾う、交換する)があるのに、「買う」しかないと思い込んでいるから、「物価上昇の中、いかに安く、いいものを手に入れるか。どこで家計を切り詰めるか」という発想にしかならない。

 自給体制を整えていないと、いかに狭い、守りの発想になるかが、よくわかりました。

 言い換えれば、依存率が高いから、他人の創造物という箱の中に入り、いかにそこを快適にするかという発想しかできなくなるのです。

 「箱の外に出る」ということは、思いつきもしない。

 企業の場合、価格を上げたら、取引先から反発されて、取引がなくなったりというところもあるそうです。

 苦しい立場のところはもっと苦しくなる。

 そして、「富の奪い合い」がますます加速している。

 価格をどうこうでは、この問題は全く解決しない。

愚にもつかぬことしか述べない経済の「専門家」

 経済の専門家とやらは、「必要ないものは買わない」「シェアリングサービスを利用する」という、「買う」前提の提案しかしていませんでした。

 どうして自給自足を言わないのか?

 食品、衣類なら、工夫すれば、少額かゼロ円でできることはいくらでもあるのに、言わない。

 「皆さん、再生野菜なら誰でも簡単にできます。最初は若干、費用がかかるかもしれませんが、これをやれば、数ヶ月で野菜はできますし、ある程度の期間、実はできます。食費がその分、浮きます」ということは、思いつかないか、知っていても言わないのでしょう。

 人々の苦しみを救おうとしない経済の「専門家」に、存在する価値はありません。

経世済民の意味

 経済の専門家は、「経世済民」の言葉の意味をもう一度、考えてきてほしい。

 「お金を使う」以外の発想があまりになさすぎる。

 一体、誰の味方なのでしょうか。

 経済、経世済民とは、「世を直し、民を救う」という意味です。

 坂口恭平さんは、『お金の学校』で、それを「大丈夫、きっとうまくいくよ」と声をかけてあげることだと述べています。(『お金の学校』晶文社、2021、p,106)。

 経済学者や経済の「専門家」と称する人々がやっているのは、ことごとくこの逆のことです。

 むしろ、民を苦しめること、民の苦しみが見えてないかのようなことしか言わない。

 まともに人間脳が働いていれば、そんなことは言えないはずですが。

依存率を減らせば、それだけ自由に近づく

 ゆたかさんの記事で、「依存率を減らして、生活自給率を上げることが自由へと繋がる」と述べられています。

 「生活自給率を上げる」「自給力をつける」というのは、いろんな意味があります。

・食料自給
・衣服を自分で作る。あるいは、修復を自分で
・家を作る(これは知識と技能が要る)
・自分の健康は自己管理。安易に病院・医者・薬を利用しない
・電気や水の自給
・問題解決は、自分で調べまくって、考えまくる

 要するに、安易に他人に頼らない思考・行動ということです。

 やるだけやって、どうしてもわからなかったら、そこだけ、もっとわかっている人に尋ねるのはアリです。

 何もせず、動かず、考えず、いきなり答えを聞くから、自給力が上がらないし、選択肢を作る力もつかない。

 消費者を脱して、創造者になることもできない。

置かれた状況で、スタートは異なる

人によっては、
・自分の所持品の中から、自分に本当に必要なものと、「必要と思わされて手に入れたもの」の仕分け
・自力で動ける体力・筋力を手に入れる

というのが自給力を上げる最初の一歩かもしれません。

 いきなり「家を自作しろ」なんて無理ですからね。

 「自分の所持品の中から、自分に本当に必要なものと、「必要と思わされて手に入れたもの」の仕分け」

 これをやるには、自分に正直になって、間違って捨てて後悔しても、他人のせいにしないことが大事です。

 他人のせいにしている時点で、まだ他人軸なのです。

 ゆたかさんの具体案をいきなりできる人はこれを、まだこれがハードルが高いと思う人は、ここにどうやって辿りつけるかを考えて、やってみてください。


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