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今さっき見た夢〜私が過去に「結婚」して「実子」までもうけたことについて。

うたた寝をしてしまい、寒くて目が覚めた。
今日はまる一日、すごく身体が冷え切っていた。

夢を見ていた。
このところ、かつてパートナーだった人と今も仲が良い夢を見てしまう。
何という未練がましさ。
確か、二人でどこか貿易のようなことをやっているのだった。
現実には、貿易をやっていた5年間と、塾講師をやっていた6年間、計11年弱ぐらい、夫婦だった。
身体に割り当てられた性役割をなんとか全うしようとして、「まともな就職」をしたり結婚したりしていたのだった。

私は真剣に彼女を愛していた。
それは、どんなに誤解されようと、そのまま言っておきたい。
彼女を愛することと、自分の性役割を演じることの間に、誤魔化せない矛盾が生じて、私と彼女との関係は終わった。

彼女にはとても申し訳ないことをしてしまった。
たとえ愛していても、破綻してそれに巻き込んでしまうのは酷かった。
彼女を愛していた「証拠」は、多分今も元気に生きているはずだ。
私の中では、その子どもは異性間の生殖として授かったのも事実だが、それは結果論でしかなくて、どんな性別であろうと、真剣に愛したから授かったのだ。

…私は、身体的性別に基づく性役割を演じることができなくなって、「男の殻を脱ぎ捨てる」ことになってしまった。

矛盾だらけなのは敢えてわかった上で言うけど、だからと言って、私が彼女を愛したことまで否定することはできない。
たまたま、愛した私が実は男じゃなかっただけ。
愛された彼女が、そうして私をなんとかして愛しぬこうとしてくれた彼女が、女だっただけ。
現実問題としては、上に言ったようなことなど笑い飛ばされてしまうしかないような大きな迷惑を彼女にかけてしまった。
そのことは、一生許されないだろう。
自覚があるし、償うことさえ許されないことで私は常に苦しんでいるが、それもまた仕方ない。せめてもの、報いだ。

そして、私は、罪の自覚もあるのに、どういうわけか幸せに生きていかなくてはならないのだ。
罪の自覚から見れば、自分が幸せになること自体が地獄の責苦のようなものだ。
その一方で、今生きていて、ほんのわずかでも幸せを感じることは、素直に生きていく自信と勇気を与えてくれるものでもある。
両者は、全く交わる余地もない矛盾なのかもしれないけれど、それでも平然と同居している。
全く不思議なものだ。

強いて言えば、私という生物学的な肉体を持つ人間が、一人の個人として存在する、という厳然たる事実によってのみ、このどうしようもない矛盾は統合されている。

多分、私が生きている限り、この矛盾に対するすっきりした答えは得られないだろう。
ひょっとしたら、死の間際になって、やっと答えがわかるのかもしれない。
でも、もしそれが「死」そのもの以外だったとしても、私はそれを誰にも伝えることなく、この世から去っていくのだろう。

矛盾の連鎖は次の世代にも引き継がれる。
私たち二人の親の子どもからしてみれば、片方の親から自分のことを「矛盾した結果」のように言われていることになってしまう。
酷い話だ。
それで苦しんだことが、どれほどあっただろうか。
そして、その子はまだこれからも、多分私より長く生きるだろう。
その間もまだずっと、矛盾に苦しむのだろうか。

私は言ってやりたい。
あなたの存在には、何の矛盾もないんだよ、と。
私と彼女との愛は、それだけは、本物だったんだよ。
だからこそ、ちゃんと肉体と精神を持ったあなたが、この世に命を得てやってきたんだよ、と。

それだけは、彼女も決して否定できないだろう。
私によって引き受けることになってしまった大きすぎる負担の中で、つい愚痴ってしまうこともあったかもしれない。
それでも、本心は変わらないはずだ。
あなたを愛している、と。
それは、あなたの存在が、彼女と、彼女が精一杯愛そうとした私という矛盾に満ちた存在の間の、それでもそこだけは決して揺るがない愛の結果であるからだ、と。

どういうわけか、それだけは信じている。
彼女が、そういう人だった。
私が最後のところでいつも踏みとどまって生きることを選ぶようになったのも、私の中の彼女の姿からの影響だ。

言っていること全体が矛盾に満ちすぎて、もう何を言っているのか誰もついてはこられないかもしれない。
けれど、それでも、私から見てどうしても揺らぐことがない、真実として捉えられることを、半ば夢から覚めきらないまま、書き落としておきます。

以上。
2023年12月18日、体温がいつもより0.3~0.4℃低い状態で。

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